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挨拶しない自由を否定する多数派が気付かない差別と矛盾

「挨拶しない自由」というワードがトレンドになっている。
白熱する要素満載のなかなかのキラーワードだ。

で、ほとんど9割以上の人が挨拶は必要だ!と答える状況に見えるのですが、果たしてどうなんでしょうか。

その多数派の方々は「挨拶はした方が得だ」って言うんですが、もうこの時点で論点がズレてるんですよ。
損得の話ではなくて、挨拶したくない側のしない自由もあるんじゃないかって話なので、認めるか認めないかの2択なんですよ。

つまり「挨拶はするべきだ」って言う人は「認めない」と言ってるのと同義だから、挨拶しない人を非常識だと断罪するのでしょう。

もちろん挨拶してくる人に対して無視するのは非常識だと思いますし、私も無視はできませんが、それでも受け手側に挨拶しない自由はある気がします。

例えば知らないおじさんが挨拶して来たら返しますか?

怪訝そうな顔しながら通り過ぎますよね?

でも普段は挨拶至上主義であるならばそれは矛盾しませんか?

挨拶はするべき派であるならば、知らないおじさんにも挨拶しないとスジが通らないと思うのです。

だから私はこの点も踏まえて挨拶しない自由があるのだと言いたいのです。

そうすると今度は「ケースバイケース」だとか言いやがるのですが、じゃあ世の中の問題のほとんどがケースバイケースで終わりだろがい。
それを言ったら議論からの逃げになるんです。

逮捕者が出たら近所の人の聞き込みで挨拶をする人でした、しない人でしたが普段の人間性の判断基準になったりしますが、滑稽でしかありません。

詐欺師ほど挨拶が丁寧で気持ち良いものですから。

挨拶ができる、できないは全く人間性に関係ありません。

それどころか器用で狡猾な人ほど挨拶が得意ですから。

シャイで不器用で優しい人ほど挨拶の声が小さいものですから。

挨拶なんかで人間性を測るなんて大バカの極みなのです。

挨拶した方が得という人に限って、挨拶しても得にならない相手に対しては挨拶しなかったりします。

こうゆうの一番汚いと思うんです。

誰に対しても平等に一律の出力で挨拶するべきじゃないですか?

それが出来ないのならあなたは挨拶不要派側ですよ?

誰に対しても常に元気よく挨拶できるという人だけが「挨拶はするべきだ」と言う資格があるのであって、その日の気分で挨拶が雑になったり忘れたりしてしまう事もあるという人には挨拶教を名乗る資格はないのです。

挨拶は差別を生むから嫌なのです。

「あの人にはするけれどあの人にはしなくていい」

こうゆう感情が無意識下で働いてしまうのがほとんどですから、そうなると誰に対しても一律挨拶しないと徹底してる人の方がスジが通ってて逆に誠実な印象すら受けるというものです。

挨拶で存在を認識されるのも嫌だし、そこから雑談が生まれるのも嫌な人間嫌いからすると、挨拶を強要する社会は苦痛でしかありません。

法律で「挨拶禁止条例」が出来ればちょっとは生きやすくなるのかなぁ?




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