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天国への切符

天国も地獄も今生きているこの世界の中にあるものだと思います。

少なくとも死後の世界は全く未知なので無いものとして考える事にします。

でも子供には悪いことしたら地獄に行くんだよと教えると思います。

僕は子供の頃そう教えられたから、小学生の頃とか悪い同級生とか見ると「死んだら地獄に行く事になってしまうのにどうしてこんなことするんだろう?」と本気で疑問に思っていたので自分は悪い事は絶対しないと心に決めていた。

しかし中学生くらいで自我が目覚めた辺りから段々と子供騙しのあらゆる嘘に気付き始め、世の中の仕組みの醜さ等(それでもまだ狭い世界)も見えてきて失望し、心を閉ざしてゆきました。

人生はイス取りゲームで、お人よし(図々しくない、人に譲る)から脱落してゆく世界なんだと知ってゆくにつれ、ますます全てが嫌になっていった。

自分にとって利のある相手には媚びへつらい、全く利のない相手には横柄に見下した態度をとるのが一般的な大半の普通の人であると知る。

そしてそいつらはそんな自分にさえ気付いていないので自分は違うとか言ったりする。

でもその実態はテレビとか観て観察してれば一目瞭然だし、社会の上下関係や恋愛に至るまで人間関係の全ては細かな序列で成り立ってる事実は認めざるをえない。

そしてそれを否定してしまうともはや社会人として適応してゆく事が出来ず、交友関係を築く事も不可能であり、結果孤独に生きるしかなくなる。

世の中は一割の勝ち組(運が良く大概手に入れてしまえる人)と、三割のどちらでもない層(社会的地位を得ずとも自分らしく生きてる人)と、六割の負け組み(したくもない労働を課せられて疑問を持たずに老いていく奴隷)で構成されてるとは僕の独断的な見識であるが、つまりはこの世界は半分以上は地獄地帯であるということだ。

地球で言えば棲める大陸のが少ないってのと同じ理屈です。

確か何かで聞いたけど、この時代の日本に生まれただけで世界的に観れば百人中五番目以内の幸せを手にしているらしいから、その観点だけでいえば僕等はかなり運が良い方なのかもしれないが、いろんな角度から見詰めるとどうしても不平不満の呪縛に絡められてしまい、ついつい自分は不幸だと嘆きがちになってしまう。

日々食べれる事、眠れる事、ネットできる環境に感謝しなくちゃいけないのに、あれが足りないこれが足りないと、足りないものばかりを数えてしまう。

とにかく欲を捨てなくちゃ。

仙人修行じゃないけれど、何も欲しがらない生き方こそ地獄に堕ちない方法なのではないかと考えている。

金で買える売り物にはほとんど関心はなくなったのだけど、お金じゃどうにもならないようなものをいくつも欲してるから、僕はまだまだ下衆な俗物なのでありもうす。

欲しいものは何かって?

そんなの恥ずかしくて言えないよ。

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