5年ぶりに好きな人ができたけど矛盾する気持ちに悶えてる話
こんにちは。
最後に書いたのがいつなのか忘れるくらいには久しぶりです。
本題に入る前に、なぜnoteを書こうと思ったのか、少し話させてください。
気持ちがフワフワしているから。以前はnoteを思考の整理のために使用していた時期がありました。
今回も同じ意図で使用しています。
最近は本当に色々ありました。恐らく、私の人生の中で1番変化のあった2ヶ月だと思います。
まず、家族からの脱却。そうなんです、私、遂に実家を飛び出たんです!今は大学近くのシェアハウスに住んでいて、まあそこでもストレスは感じますが、実家にいた時に比べたらかーーなりマシです。
次が、5年ぶりに好きな人ができてました。
過去形なのはお察しの通りです。振られました。
振られてから2週間くらい経つのですが、自分の中ではずっと同じ矛盾を抱えています。それは、好きすぎるんだけど、付き合いたくはない。
振られた奴が何言ってんだって感じですが。結局は自己防衛故の気持ちだと思うのですが、その人と居て幸せになれるイメージが湧かなかったり、寧ろ自分がすごい傷つけられる(精神的に)可能性もあって、それが嫌だから付き合いたくないと思うようにしているのかな、とも思います。
ただ面白いのが、私はそれでもその人の事が今でもめちゃくちゃ好きだと言う事です。
付き合いたいとは思わない、何を話せばいいかわからない、どんな顔して会えばいいのかわからない、ただ遠くで、君を眺めていたい。幸せになって欲しい。
結局上辺だけの関係がいいのかな?
私はその人の上辺の姿が好きだった。周りに配慮して、細かい所に気づいて、よく笑って、話をしっかり聞いてくれて、認めてくれて、そんなその人が好きだった。
深く関わると近すぎて見たくないものまで見えてしまう。
私はその人の本音を聞いた。ショックだった。その人にとって私はちょっと気の合う居てもいなくても関係ない奴らしい。
その人は私を大切にしてくれないと知った。
本音を聞いて、互いに素を出しやすくなった。素が出しやすいということは、その分感情に素直に行動しやすいということだ。
その人は私といる時、退屈そうにするようになった。あまり笑わなくなった。眠そうだった。私の話を聞いてくれなくなった。
悲しかった。そういうのが全て。
大切にされてないな、と感じた。
その人に感じていた安心感は消え去った。
それ以降、その人と接するときは「相手はどう思うのだろう。」こればかり気にしてしまう。生きづらい。それでも好き。
苦しい。
そんな気持ちを抱えながら、今日も生きていく。
さて、本題に入ろうと思うのですが、こんな事を書いていたら気持ちが沈んできてしまいました。
端的に述べると、まずはポートフォリオ作らなきゃね。ってことです。
次は案件獲得したら書こうかな。
やっぱいいかな。その時の気分次第ですね。
最近嫌われる勇気を呼んで、自分の課題と相手の課題を切り分けて考えるようにしています。そしたら生きやすさを感じつつ、友達に嫌われるのでは?と少し怯えている自分もいます。
大学では7人くらいのグループで行動してます。互いに課題を助け合ったり(ほぼ助けてもらってるだけなのですが…)昼飯食ったり、放課後ラーメン行ったり、大学生を楽しむためには必要だと感じています。ただ、そんな中でも、気の進まない誘いも多く、相手の顔色を窺って判断する時もありました。その方が良好な人間関係を築けると思っているから。今でもそう思っている節があります。
ただ、最近はそれをやめてみています。自分の感情に素直に行動しています。これは側から見たら自己中に思われるかもしれません。もしかしたら大学の友達はそう思ってるかも。ただ誘いに乗るか乗らないかは私の自由。自分で決める権利があります。疲れたなら帰る。お腹空いてないから行かない。素直でいいんです。それを認めてくれない、そこに嫌悪感を抱くような幼稚な人とは関わりたくない。
本音ではそう思っています。
ただ、その人達といると楽しいのも事実です。
だからこそ、向こうに嫌われて、大学生生活が困難になるのが嫌で、相手の課題に干渉しようとしている。
こんな事を考えている自分も醜くて嫌。
どうすればいいんだろう。
そんな時に自分の課題を考える。
私がするべきことは、自分の感情に素直に行動すること。配慮を忘れないこと。
この2つだと思う。
あ、洗濯しなきゃ。
てことで今日はこの辺で終わります。
次の更新はいつになるのやら。
読んでくださりありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?