縊死
上手く、又はそうまで言わないまでも人並みに生きていくことのできる人々は何か大きなズルをしているのではないかと思う。それ程私は真っ当に生きるということが苦手だ。
大人としてあるべき姿、社会人としてあるべき姿、家族してあるべき姿、身近にいた大人たちに関しても欠落した部分をたくさん見てきたし、更に言うならば私はそれよりももっと底辺で、仄暗くもぞもぞと蠢いてるだけのような気がする。
自己肯定の低さというやつは何も生まない。わかってはいるがどうだ、私はその価値のない自己肯定の低さで以て一層自身に圧をかけ、無能の海に溺れているのではないか。
だからこそ自分に向けられた温もりに触れたとき、それが沁みるほどに優しくて愛おしく感じる。守りたいと思う。ここから救い出してくれる人のためだけに生きることができればそれでいいのではないか。首に触れるものが麻縄でなく愛すべき対象の手なら何も望まないのではないか。
ぼんやり、そんなことを考えていたら今日も日が暮れた。
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