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2009 旅 深夜特急'09

8月28日(金)

遂にこのトルコ旅行も最終日を迎えました。この数日間のバスの移動距離では、深夜特急にも負けないくらい走りました。東へ西へ。そして再び、イスタンブールへと戻ってきたのです。

   ◇

イスタンブールは、ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側に分かれます。そしてさらにヨーロッパ側は、金角湾で新市街と旧市街とに分かれています。ボスポラス海峡には、ボスポラス大橋とメフメット大橋という2つの吊り橋が、金角湾にはガラタ橋という橋が架かっており、それぞれを結んでいます。

ボスポラスクルーズは、マルマラ海の港から、ボスポラス海峡を北上しボスポラス大橋の下をくぐり、フォーシーズンズや迎賓館を岸辺に眺めました。徐々に海峡が狭くなっていく様子に、この地の戦略的重要性を感じました。

1時間程で、ガラタ橋近くのヨーロッパ側旧市街の港へと戻ってきました。そして向かうのは、スルタン・アフメット広場。6本の尖塔(ミナーレ)がそびえる、ブルーモスク。ミナーレの数でその寺院の力を表していますが、6本ものミナーレを誇っているのは世界的にも珍しく、イスラム教の聖地メッカのカアバ神殿と同じ数です。大ドームは直径が27.5mで、ステンドグラスの窓が260あると言います。とにかく、今まで見てきたモスクとは、桁が違いました。

トプカプ宮殿はオスマン朝の支配者の居城として、400年以上もの間栄華を誇り、そこに残された至宝の数は膨大です。なかでも「スプーン屋のダイヤモンド」は、一際光り輝いており、86カラットもの大きなダイヤを49個のダイヤで取り囲んだ、ため息の出るような輝きでした。テラスからはボスポラス海峡が一望できました。

アヤソフィア博物館はかつてはギリシア正教の大本山として君臨しながら、後にイスラム寺院に姿を変えました。今では内部にはキリストのモザイク画と、アッラーと書かれた円盤が供在していますが、イスラム寺院に改修された時、漆喰で塗りつぶされ、20世紀になるまで長い間日の目を見ることはありませんでした。また、聖母マリアの手形とも言われる柱があり、くぼみに親指を入れて後の4本の指を柱から離すことなくぐるりと円を描けたら、願いが叶うと言われているそうで、もちろんやりました。願いを、込めて。

1時間程の自由時間は、もう、動く気力がなく、公園内の芝生に寝転んで、この1週間の旅を振り返っていました。そして、15:30アタテュルク国際空港へと向けて出発しました。空港に着いてチェックインをすると、エアメールを出したり、免税店で買い物したり、そして、出国審査を受けてゲートに向かいます。

19:25エアバス330-200に乗り込むと、僕のトルコ旅行もいよいよエンディングです。EK122便が飛び立ち、トルコの街が見えなくなっていくと、何とも言えない寂しさが押し上げてきました。しかし、4時間後にはドバイに着陸し、トラスファー。3時10分の離陸に向けて、出発ゲート前で待機。この時、イスタンブールの免税店で買ったワインをセキュリティで没収された人がいて、ずいぶん交渉していましたが「これが国際ルールだ!」の一点張りで没収は逃れられず。5千円のワインがセキュリティに没収。

それ以外は順調にトランスファーできて、EK316便がドバイ国際空港を飛び立ったのは、3時30分ぐらいだったでしょうか?軽食をとった後まもなくして眠りに落ちました。

目を開けると中国上空を飛んでおり、最後の機内食を食べて着陸に備えます。食べ終えると、後は着陸準備に入るだけ、ひとつひとつ片付けていくとやがて、僕のトルコ旅行8日間も、幕を閉じていきました。

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