25歳で死にたい話

私には、今まで公言してきた言葉がある。
「25歳で死にます」

これは自分の容姿がどうだとかいう話ではなく(醜いんですがね)、友達がほぼいないからというわけでもない。
単純に、自分の人生に見切りをつけたからである。

札幌生まれ札幌育ちの私は、普通の生活を送ってきた。
それなりに裕福な家に育ち、衣食住が保証され、大学まで通い、就職で上京。
最初に就職した先では全く持たなかった(1ヶ月とちょっとだけ)が、それが理由でもない。

就職したところを退職後、新たに仕事をする余裕もなく、大学時代ずっとやっていたレンタル店のアルバイトをやった。
都内のお店で働いたのでそれなりの知識も求められる、頭いい後輩ばかりいる、そんな世界だった。
22歳で就職に失敗し、手に職を付けられなかった自分が唯一出来ることで何とか2年食いつないだ。
でも、その経験が嫌でという訳でもない。

大学2年の頃、まだ実家住まいだった自分は、東京に行って、東京の友達とコンセプトカフェやメイドカフェに行っていた。
「お金を払って女の子と喋る」
という事に最初は抵抗があったが、今はすんなりと受け入れてしまっている。
ただ、自分が接客業を長年やっていた事もあり、お金を払ってもらっている立場なのにそんな事も出来ないのか、と思う事が多々あった。
このことに関しては、若干だが理由にもなるのかもしれない。

お金を貰っている以上はその対価を出さなきゃいけない。

これは私が6年接客業をやってきて、確信を持って書けることである。
業種が何であろうが、日本で接客業をやる以上、客商売である以上はやらんといけない事であると考える。

…わかりました?
そう、私は「性格に難アリ」なんです。
今どき性格に難のある人なんて誰も構ってくれません(こんな私でも構ってくれる方が居ることに感謝)

こんなんが長生きすると大変な事になります。
今でさえ「ヤバいお年寄り」が増えているのに、こんな人が長生きして、下手に地位なんて持ったりすると社会の私物化をしかねないんですよね。

それだけじゃないです。
こんなクズみたいな生き方をしてる私にも、将来年金が貰える可能性があります。
こんなんが年金をもらっちゃダメなんです。
もっと、世間に貢献してきた方にちゃんと行き渡るように分配されなあかんのです。
独り身ではなく、家族がちゃんと居て、という方に分配されるべきなんです。

20歳の時に、初めて「25で死ぬ」と言い出して早5年。
あと一日とちょっとで25歳になります。
こんな人間でも生きざるを得ない。こんな悲しいことはありません。
自分で選んだ道かと言われたらそんなことは無いですが、ここまで来てしまっている以上は言い訳も出来ません。

人生を終わらせたい。

出来ることなら、今すぐにでも終わらせたいです。


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