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やわらかな支柱

 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を初めて読んだのはもう3年ほど前になるだろう。単行本が発売となった時、私はすぐさま買いに行き貪り読んだことを覚えている。そしてこの文庫本が発売された時も、すぐさま買いに行き貪り読んだ。

 「紀行エッセイ」というジャンルがあるのは知らなかっけど(他の紀行エッセイを読んだことがなかったから)、この本では若林さんがキューバへ旅行に行き、そこで見たこと、体験したこと、感じたことが綴られている。なぜキューバだったのかというのは本に書いてあるので割愛するけれども、その一つは日本じゃない制度で成り立っている国、日本とは異なるシステムの中で生きている人々を見ておきたかった、とのこと。本の中では日本を指し示す概念として「新自由主義」というワードが何度も登場する。

 新自由主義。ネオリベラリズム。個人の自由や市場原理の再評価。私が生まれたのは平成の初めであるが、その影響のようなものは地方にも緩やかに流入してきていた。いい高校に行きましょう、いい大学に行きましょう、いい会社に入りましょう、いいところに住みましょう、いいモノを買いましょう、その他諸々。地方の辺鄙な所だったから都会に比べたらそこまで露骨ではないけれども、やはり金のある家の子は都市部の私立に行っていたし、塾も増える一方だった(とは言いつつ、公立高校に行くのが普通という考えの方が強かったのは、やはり田舎だったからだろう)。きっと若林さんの育った時代、そして東京という街はもっと競争主義が露骨なんだろうな、と想像する。そして私の育った街もそうなっていくのだろう。そうやって日本全体が均さていく途中にあるのかもしれない。

 別に競争主義を否定したいわけでもない。それによって素晴らしい商品がどんどん開発され、便利な生活を送れるようになったのも事実だから。地方でも不便なく暮らせているのもその恩恵なのだろう。でも、なんというか「面倒くせぇな」と思うことが多いのもまた事実だ。「勝ち組」「負け組」「スペック」「レッテル」「マウント」「三高」「富裕層」「氷河期」「ブラック企業」「24時間戦えますか」…。 競争主義から生み出された言葉や標語は私達の尻を叩くのには使い勝手が良く、なめらかに、そして強固に生活の中に定着していった。自分の価値を確認するのにも、あるいは逆に自虐するのにも、そして他人を値踏みするのにも便利だからだ。きっとこれらのシステムや言葉は競争に勝ってる人たちが創り上げたモノだからなんだろうな。そしてその価値観はネットの世界にも蔓延してくる。インターネットは面倒くさい現実からの避難場所だったはずなのに、いつの間にかそうじゃなくなってしまった。金という数字はアクセス数やフォロワー数に置き換わり、いいねの数に置き換わり、マウントの取り合いは今日も繰り広げられている。もしかしたら人間は元々競争したい生き物なのかもしれないな、と想像すると、より一層ぜんぶひっくるめて面倒くせぇな、と思ってしまうことがたまにある。でもその競争から降りることもできない。生まれた瞬間からヨーイドンと競争は始まり、その脚を止めることは認められていない。競争の恩恵を受けていて、競争の中で生かされているのだから。

 そういうムズムズするような気持ち悪さもバッグに詰めて、若林さんは新自由主義の空気が充満していない国へと飛んだのだ、と私は想像する。

 キューバ。フロリダ半島の南にある島国。社会主義国。キューバ革命。カストロとゲバラ。キューバのことを、私は教科書に載っていることぐらいしか知らなかった。日本とキューバの社会システムの違いなんて考えたこともなかったけれども、この本の中で若林さんはそんなキューバの文化や歴史や生活と接し、様々な事に思いを巡らせる。飛行機の中で、空港で、サラトガの屋上で、博物館で、ジャズバーで、革命広場で、配給場で、闘鶏を前にして、サンタマリア・ビーチで、マレコン通りで、そして日本に戻る飛行機の中で。その一つ一つの体験が、生々しくて、鮮やかで、熱を帯びている。私が読んでいるのは本に書かれた文章だけれども、文字を通して若林さんが見たモノ、聴いた音、体験したコトが、じわじわと伝わってくる。衝撃や戸惑いや感動がごちゃまぜになって血流に乗って注ぎ込まれてくる感じ。おそらく自分の感覚を大事にする人なんだろう(それはラジオを聴いていても思うことだ)。誰かが言っていたじゃなくて、ガイドブックに載っていただけじゃなくて、自分がどう思うか。その自分の感覚を尊重している人なんだろう。だから、たとえ読む側がキューバという国の文化や歴史や社会の変遷のことを知らなくたって、一つ一つの場面は鮮やかに再生される。

 だから、単行本を読み終わった後も私は数ヶ月おきに何度も読み返していた。日常の中でムカついたり凹むことがあった時や何もかもが嫌になる度に、私は一度も行ったことのないキューバを何度も巡ることができるのだ。パスポートは期限が切れて引き出しの奥に放り込んだままになっているけれども、行ったこともない国に触れることができるのだ。

 そして、旅の中で若林さんは答えのようなモノを見つける。生きづらい世界の中で、腹の立つことの多い世の中で、それでも信じられるモノ。「血の通っている関係」。その象徴として家族のことを、亡くなった親父さんのことを綴っている。親父さんとの対話のシーンは特に印象的で、シャープで、初めて読んだとき(たしか初出はダ・ヴィンチの連載だったと記憶している。記憶違いかな?)は耳鳴りが響くように、しばらく脳に残り続けた。そして1年半前、私が父親を亡くしたときも、そのシーンが何度も何度も頭の中でリフレインしていた。葬儀屋と葬式の打ち合わせをした際、式のボリュームが値段によってあからさまに変わることの説明を受けた時には、本に書いてあった「火葬場のランクにも経済が入り込んでいる」の話とまるっきり同じで笑ってしまった(今考えたら不謹慎な話だ)。

 閑話休題。若林さんがその「血の通っている関係」という答えに行き着いたのには、読者ながら、ラジオのリスナーながら、なんだか腑に落ちた。そして安心もさせてくれた。これがもしも「キューバでしか見つからないもの」とか「競争の中で勝ち取るもの」という結論だったら、途方に暮れてしまっていたかもしれない(あまりその心配はしてなかったけれども)。血の通った関係。それはキューバじゃなくても、あるいは東京やモンゴルやアイスランドじゃなくても、今の自分が生きている世界でも見つけられるかもしれない。そう思うだけで生きていけそうな気がする。地方に住み続けている私は変わりゆく街を眺めながら、相変わらず社会やシステムやこの世界を構成する色んなモノに凹んだり悩んだりムカついたりしっぱなしだし、本を読んでどれだけ感銘を受けたところでネガティブはネガティブのままだけど(それはもう生来のものだから諦めている)、それでも生きていけそうな気にさせてくれる、そんな本でした。若林さん、この本を書いてくれてありがとうございました。そしてどうか、健康で。

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