大切にされた記憶
大切な愛する夫を亡くし、悲嘆に暮れて生きる方向性を見失っていた女性を数年前から菜のはなで支援していた。
彼女はこの数年間、夫を亡くした喪失感から逃れたいともがいていた。菜のはなも様々な地域コミュニティを案内したが、彼女は家族でないとダメと話して決して参加することはなかった。
そんな彼女が1年前から、いくつかのコミュニティへ参加してラジオ体操やおしゃべりなどをするようになった。理由はいまだにわからない。菜のはなのメンバーはそのことに驚くとともに、良いこととして見守ってきた。
今週、彼女と話す機会を得た。
私は彼女がいくつかのコミュニティへ参加していることに話をふると、彼女はまずます楽しい時間を過ごしていると答えた。
しかし、楽しい時間を終えて自宅に帰ると、その日あった楽しかった話をする相手がいないことに満たされない思いを抱えていると加えた。
その話は私に「船上のピアニスト」を思い出させた。
少しして私は参加しているコミュニティの友人たちに電話やSNSでつながってみてはどうかと提案した。
しかし、彼女はあいかわらず「私は家族でないとダメなんです」と返した。
私はそうだねと同意した。
しかしその後、彼女は驚くことを口にすることになる。
彼女は自分はこれまで真綿に包まれるように守られて生きてきた。そのことに気づいた。もう一生そういう人にあえないかもしれないと嘆いた。
続いて私はそういう人に会えないまま一生を終える人もいますねと呟いた。
その時だ。
「そういう人がいたら手を差し伸べたい」と語ったのだ。
彼女の悲しみは誰も取り去ることも解決することもできないかもしれない。しかし、彼女は知らず知らずのうちに人々の関わりや大切にされた記憶からケアを受けてゆっくりと辛い経験を消化してきているようだった。
ひとりでは立ち向かえない生きづらさがある。その時、問題を解決できなくても、一緒にそこに向かっていける仲間がいたら生きていけるかもしれない。それは温かい家族の記憶であってもかまわないし、何気ない日常の一部を共有するに過ぎない友人でもかまわないのだと思う。
最も大切になことは、一人の自分として大切にされた記憶なのだろう。
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