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私が港区のすごい施設のその後をフォローしている理由

裏で何があったかは知りませんが、数年前に話題に上がった表参道のこちらの施設、僕はとてもすごいと思っています。

港区が生きづらさを抱える母子施設を表参道駅の目の前に建設するという事業に対して、地元の住民らが反対の声を上げたというニュースでした。

確かに都心の一等地に建設すること自体は、どんな施設であれ高額な費用が発生するため効率的とは言えないでしょうが、それよりも住民らが抵抗したのは、問題を抱え苦しむひとたちが「一等地」である表参道に集まることでした。

ある意味、昭和の排除構造による反応で、地価が下がるとか、ひどい時には物価が高いから、その人たちにとっても大変でしょうなどと、一見、心配するような言葉を使いながら排除するといったまるで小学校のいじめのような言葉が住民や経営者から投げかけられました。

確かに新しく経験のない施設ができることに不安を抱えること自体は理解できます。しかし、だからといって問題を抱えている人たちを街から排除しては、それ以上の社会の発展は期待できなくなってしまいます。

その中で一歩も引かず、対話を繰り返した港区。コロナ禍もあって、特段のニュースにもならずに運営をスタートさせていました。

どのような背景ややりとりがあったかは存じませんが、遠く埼玉から見る限り港区は立派であったと思います。人が集まり、見つけやすく、交通の便が良い駅前に施設を建てたことは、相談をする側だけでなく、周囲へも良い影響を与えるかもしれません。

この事業自体がある種の地域への働きかけであり、ソーシャルアクションであるように私には見えました。

以前、国立駅前でひっそりと子ども食堂を運営している飲食店にインタビューに伺ったことがありました。港区同様に裕福な人たちが暮らすイメージのある国たちで子ども食堂のニーズがあるのかと興味を持ちながら行きましたが、店内のノートにはびっしりと子供や親からの感謝の言葉や、店員さんからはとてもたくさんのニーズがあることなどお話を伺いました。

自分たちを含め、ほとんんどの人たちが問題を抱えながら生きています。その中で苦しい状況にある人たちも相当するいるわけです。しかし、一度、貧困や問題のある世帯などの烙印を押されてしまうと、とたんに社会から排除される構造があります。

港区のこの事業に意味があるとしたら、こうした構造自体に行政がメスを入れたように私には見えました。いつか、インタビューに行ってみたい施設のひとつです。

そして何より、現在はニュースにもならないほど静かに着実に運営を進めていることに、さすが港区、お金がないとできないアクションに羨ましい限りです。

こうした取り組みで港区にケアする社会が広がると良いですね。



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