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私が社会的処方の制度化に反対する8つの理由

近々、社会的処方に関するインタビューが公開される予定ですが、私の真意が伝わるかどうか一抹の不安があり、ここにあらかじめ私の考えを書いておこうと思います。

※ちなみに、私はこのテーマに触れることをやめようと思っておりましたが、先日、日本福祉大学の二木立先生から直々にご連絡をいただき、もっと発言しろと仰せつかり、インタビューに応じることにいたしました。

1)現在、多くの人たちが実践している社会的処方は、従来からソーシャルワークとして認識されてきたものの一部(道具的支援)である。そもそも社会的処方にコンセンサスの得られた定義はなく、現在、本邦では定義の定まらない「ごった煮」状態の議論が飛び交っている。イギリスの社会的処方を指している事例も多いように感じる。

2)1)は単純に推進派の医療側の勉強不足が原因と思われるが、こういった他分野の先行研究を無視する行為はしばしば起こりうることである。むしろ、医療側が心理社会的問題に関心を持つことは歓迎できる。

3)私が反対しているのは社会的処方の制度化であり、社会保障制度にするということは、医師と患者との間に制度が介在することになり、さらに、個別性を無視することになるからである。社会的処方の研究会でも、この点に関してはほとんど議論されておらず、代理目標の想定さえもされていない。一方、多くの社会的処方として実践されている先生方はヒューマニストで、無自覚的にソーシャルワークを実践されている。

4)また、医療が政治と連携するとさらに強力な政治力を持つことになり、元々、政治力の弱いソーシャルケア側は負けてしまう可能性がある。これらはソーシャルケア側(学術的にも職能団体的にも)にも責任があり、猛省すべきだろう。

5)地域包括ケアとはソーシャルケア側の支援作法である生活モデルに医療側が合流する一連の歴史的潮流として説明される。故に支援作法が異なる多職種らの協働が可能となる。

6)5)にも関わらず、そこに社会保障的支援(公衆衛生的な手法)を持ち込むということは、地域包括ケアで積み上げてきた議論を無視する行為である。

7)地域包括ケアはこれまで多くの有識者らによって数えきれない制度化へ向けた議論と手続きを経て成立してきている一方で、社会的処方が骨太の方針等により政治的な介入により議論なく導入されるのは不健全と言わざるを得ない。

8)そもそも包括支払い制度(人頭払い制度)でない日本において、制度化は難しい。むしろ、社会的処方の制度化は包括支払い制度の導入を前提としていると理解した方が合理的と言える。

以上です。

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