感情の負債を知る。

どうも岩﨑です。

最近読んだ本に不思議な表現があったので

久しぶりに書こうと思いました。

日本人として生活をしていれば

日常的に「ありがとう」や「感謝」の

言葉や文字に出合うと思います。

私も良くありがとうや感謝している気持ちの事を

割と人に伝える事をしていますが

それがどういった原点で発しているのかまでは

深堀したことはありません。

薄い表面で考えると

ありがとうを伝えると人が喜ぶから

感謝の念を伝えると人との潤滑油になるから

自分がありがとうと言われると嬉しいから

と自分と他人を繋ぐ結果を求めて

ありがとうを使っているものだと思います。

そして逆に考えてみると

ありがとうを送った側は

相手に対し「ありがとう負債」を

送りつけている事になるのかな?と感じるような

気がします。

感じるような気がしますとは

絶対にありがとう負債を送っていると断言できないからです。


仮に、友達に誕生日プレゼントを贈ったとしましょう。

なのに自分の誕生日にその相手からプレゼントが

送られなかったら「嫌な気持ちがうまれませんか?」

感謝は感謝で返納する。

このフレーズは実にまっとうな事だと思いますが

実は自分が送ったものはプレゼントと同時に

相手には感謝の負債を発生させている事も

考えられるのではないか?と思うわけです。


挨拶をしたのに

挨拶を返さない。

「なんか不愉快だ。」ってやつも

負債っぽく感じます。


送ったら返すのが当然でしょ?って意識が

こびりついているのかもしれません。


そしてこれが世界のベースになっている物と思っていましたが

そうでない国や地域もある事を最近しりました。

東アフリカのとある地域では

上記のようなありがとうや感謝の念を

相手に送ることがない文化が存在することがわかりました。

そればかりか

サンキューは最悪の言葉だと感じる人までが

存在しているそうです。

なので恩を送っても、ありがとうはかえって来ないし

感謝の念も表さない。


しかし、もしも感情の負債の交換が

生まれないコミュニケーションだとしたら

人に負い目を感じ

何か対人的な不安を抱える事や

もやもやする感情を減らせるのでは

ないのだろうか?と思ったわけです。


う~む、ありがとうを使わないコミュニケーションが
あるなんて事も驚きですし

使わないじゃなく意図的にそうしているなんて

ちょっと驚きです。


#ありがとう

#感謝


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