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レイキ界の掟とは?

学校という英語のschoolは、もともとギリシャ語が由来といわれ、
意味は「余暇」。

この意味が示すように、学びの場というのは、自由闊達であるべきで、その場にいる者みなが、それぞれに自由の中で一人一人の気づきから自由に議論することなどを通してお互いが切磋琢磨し成長し合うのだとし、「余暇」の中にこそ学びがあると考えられます。

たしかに、学習を目標にするなら、一人でもできる、、

なぜ、私がレイキに学びの場を、、と、考えるのか、、

私がレイキ行脚をしながら、出会った人たちのことが心にあるから。

ある大きなスクールの体験会にはいつも定員いっぱいの参加がありました。

遠くから始発に乗り終電で帰るという人が多くいらっしゃいました。

驚いたのは、九州から、体験会のためだけに、飛行機で来られたという人もいました。地方には、なかなか実践できる場がないので、わざわざ東京まで足を運ばれたのです。講習ならまだしも、体験です。

たった2時間手を当てるためだけに、、、

講習も遠くから来られます。先日も書きましたが、講習の内容がレイキとは関係のない話でほとんどの時間使われ、最後にアチューメントを受けて終わり、「どうやって使うの?」と、戸惑われながら、終電に間に合うように急いで帰っていく人を見送りました。中には、コロナが始まったばかりのころで、失業され、前から気になっていたレイキを習得して仕事に結び付けたいと言われていた方がいて、講習の費用や交通費をなんとか工面してきたのだと言われていた人もいました。

私が伝授を受けたマスターが、「ときどき他所でアチューメント受けたのだけど、、、」といって来る人がいるんだけど、、と、言われながら「私、レイキ出てますか?」って聞かれるのだ、、と。

「自分のマスターに行きなさい」って断るわよ、、

「だって、そうでしょ?」と、言われたのですが、

私には、その意味が、今でもわかりません。

レイキ界の掟でしょうか、、、???

臼井先生は、そんなに器の小さい方ではないと思いますが、、、

あなたにレイキの何がわかるのだ!と、生意気を承知で言いたい

あえて、批判を恐れずに、、、開き直ります。

それで、ダメなら、いいではないか、、道ではなかっただけなのだ。
ただ、それだけだ、、

本来、レイキは「愛」なのだと言います。

流派がどうの、マスターがどうの、、、

問題でしょうか。

実践が何より大事で、必要なことは使えることなのではないのか。

臼井先生のことは、よくわからないけど、、

私が臼井先生の立場なら、きっとそう思う、、

自分のことを崇拝されるより、
多くの人がレイキで癒され病気が治癒されること、、

それを、誰よりも天上から願っておられるのではないだろうか、、







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