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利根川の流れを変えた人々 千葉県野田市関宿

ここは、利根川と江戸川が分かれる分岐点。
利根川は、かつては東京湾に流れていた。しかし、今は、銚子から海へと続いている。それはなぜか。
人が流れを変えたのだ。


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江戸時代初期、暴れん坊の利根川を何とかすべく(物流インフラ整備の為という説も)、大治水工事が行われ、何度も失敗を重ねた上で、利根川の流れを大きく変えた。かつての川筋は、古利根川として今も残っている。
江戸川はというと、利根川に接続させる為に、上流部を人工水路として整備したのだ。


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利根川の流れを変え、江戸川をつくるって、凄えなぁ、江戸の人。というか、伊奈親子がマジで凄い。当時の工事規模はパナマ運河整備のそれを超えていたという。
もちろんこの治水技術は、東北沿岸部でみたスーパー堤防とも繋がっているのは言うまでもないけれど。

といっても、利根川はそうすんなりと行かせてもらうほど甘くはなく、浅間山の噴火による土石流、台風による氾濫、足尾銅山の毒流出、千葉方面への水害拡大と、問題は長らく起き続けてきた。

そう、ここの近く、利根川沿いの集落にはかつて若かりし頃の柳田國男も住んでいたことがあり、その地で、狭山でみたのと同じような「子返し絵馬」をみて衝撃を受けたと「故郷七十年」に書いてある。この地でも子返しが行われていたのだ。
その経験が、経世済民としての民俗学を興す大きな動機になったのだと。

江戸時代は幸せな時代だとかいう人もいるけど、そういう面もあるかも知れないけど、やっぱり、生き抜くのに大変な時代だったのだと、思うけど。


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