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Day0-2


昨夜はなんとか最終便の振り替えに滑り込むことができ、パルセロナ空港に到着予定より5時間遅れの24時に到着した。そこからバスに乗りカタルーニャ広場へ向かい、そこから歩いて深夜2時にホテルを無事にチェックイン。

翌日というか、当日というのか、5時半に起き、30分ほど歩いてバスターミナルへ。朝の7時発のバスに乗り込み、そこからはずーっとバス移動。パルセロナからサラゴサを1度経由してパンプローナに向かった。

サラゴサとパンプローナの道中でみえたピレネー山脈の一部をみて内心はビビった。

と同時に自分がピレネー山脈に対して甘く考えていたと知った。

かの有名なハンニバルはピレネー山脈とアルプス山脈を「象」で登ったのだ。
一方で自分は「足」で登ろうとしているのだ。無謀なことをしようとしていることも如何に険しいのかも分かる。

そんな景色をまざまざと見せられながらパンプローナに到着したのだが、ここでもまたトラブルは続いた。積雪の影響で巡礼の始点であるサンジャンピエドポーは疎か、ロンセスバリェスにさえバスは行けないのだ。

諦めかけていたが同じようにバックパッカーを持っていた別々の2人に声をかけてタクシーで相乗りをし、とりあえず行けるところまで走り続けた。

Zubiriも雪が積もっており、ロンセスバリェスの方へ行こうとすると警察らしき人々が交通整備をしており、スタッドレスがない車は次々に引き返されていた。

そんな状況下で巡礼の始点を変更せざるを得なかった。

・1030kmを歩いて横断・ピレネー山脈越え

の二大パンチライン旅のはずの当初の予定が

・1030km→1000km以下・ピレネー山脈越え→未達成

に決まってしまった。

歯がゆい気持ちは勿論あるけれど、冒険とはしばしばこういったトラブルの連続だ。
確かに1030kmを完走することもピレネー山脈を超えることも1つの目標であったけれど、それ以上にここに来たのは「個人内多様性を広げる」ためだ。

自分にとってそれは世界に冒険をする理由だ。

「みんな」という言葉の中に含まれる絶対数を増やし、多様性を拡張するのだ。

今は まだまだ「みんな」という言葉には偏りがある。というか偏りしかない。
世界には白人、黒人や黄色人種など様々な人種や仏教、キリスト教、イスラム教、儒教や神道など様々な宗教や英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、中国語やマヤ語など様々な言語話者やヨーロッパ、アジア、オセアニア、北アメリカ、南アメリカ、アフリカなど様々な国や地域で生まれた人がいる世の中で、
頭で分かっているのだけれど自分の「みんな」のなかには アジア人が、いや、日本人の割合がほぼ全てと言ってもいい。

世界の構成比率を考えれば いかに視野が狭いのかすぐにわかる。地球上には約70億人ほどいて、その内日本人は約1億人しかいない。つまり、世界でみれば1/70、1.4%の割合のマイノリティなのだ。
それにもかかわらず「みんな」の中に90%が日本人であることは本来構成比率を考えれば真逆であるはずなのだ。
ポジティブに考えればまだまだアップグレードもアップデートする余地が残っているのだ。

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そう考えると今日一緒にタクシーに相乗りした2人はたまたま同じカタルーニャ出身の人であり、彼らはスペイン人というよりカタルーニャ人であることに対して誇りを持っていた。
宿舎(アルベルゲ)で出会った36歳の韓国人とは竹島問題、兵役の2年間のこと、中国人の印象についてあれやこれや話したり。
イタリア人は無宗教である日本人に対してとても疑問を持っていて、なぜ無宗教なのか、ムスリムに対してどういう感情を抱いているのかなどを話した。
そして誰も「Shuya」と発音することが難しく抵抗感を持っているということも。

こんなふうに鎖国大国の日本では経験ができないような混じり合いがここではできている。
それが目的であるからこそ始点が突然変更したところで全てが終わるわけではなく、自分の中で変化を楽しみながら吸収できたらと思う。
言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、ピレネー山脈越えはまた挑戦すればいいだけの話なのだ。

Adventure is worthwhile in itself  -Amelia Earhart

女性として初の大西洋単独横断飛行を成し遂げたアメリア・イアハートの言葉を引用させて頂くと「冒険はそれ自身に価値があるのだ。」

**明日からようやく巡礼が始まる。 **

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