はじめてのnote【こどもとのこと】

僕は現在、兵庫県朝来市生野町で「中高生のサードプレイス」という子どものための場づくり事業をしている。
これまでは地域おこし協力隊として市民会館「生野マインホール」にて。
今年に入ってからは7月末に控えた協力隊任期後に向け、自宅の一部を試行的に子どもの居場所として無料開放している。

そこでの子ども達とのかかわりから、ちょっと思い出したことがあって文章にする。
この投稿に、学校批判のような意図はない。



僕が小学3年生の頃。
担任は50代の男性教員だった。

僕のクラスには先生の決めたいくつかのルールがあった。

嘘をつく生徒が嫌いだった先生。
同様に、自身が嘘をついたと疑われる事も先生は大嫌いだった。

「うっそー!?」
そう発言した生徒には、ある日を境にペナルティが科されることになった。


今思うと意味不明だが、その先生曰わく、
「嘘をついている訳じゃないのに相手を疑うな」とのこと。
「ホント!?」と言いなさいという彼独特の指導らしい。


教室の後ろの黒板を使い、
1点減点ごとに名前の横に正の字でカウントされる。
他にもペナルティの対象はあったが、今ではよく思い出せない。

僕もみんなも素直で良い子だったので、
休み時間も友達のマイナスを発見しては正の字を書く事に勤しんだ。
密告すると褒められるというシステムだ。


授業中に筆箱(当時は缶ペン)を机から落とした際は、
教室の前に出て全員に謝罪する事を強要された。
ブリキ製の缶ペンは落とすと「ガシャン!」と音がして
授業の妨げになるからだ。
「筆箱落としてごめんなさい」のセリフを、
多い時なんかは1時限に10回は聞かされた。


ある日やんちゃだった同級生が先生に反発した。
先生はその子の机を教室の外に放り投げ、
「もう来なくていいから」と言った。

その後、家庭訪問か何かでその子のお母さんが先生と話をしていた。
「うちの子はすぐ悪さするんで厳しく指導してくださって感謝してます」
教室で見る先生とは違う顔だった。


僕らは恐怖のもとにコントロールされていて、
それが学校、
それが正義だと疑わなかった。

大人になった今ならこの手の人間には命がけで抗う言語力も思考力もあるけど、当時は誰も何も出来なかった。
8歳の子どもにとって先生の言うことは絶対だった。


対外的には優秀だったこの先生は教頭に昇進し転任。
4年生からは20代の新任女性教員が僕らの担任になった。


当時まだ珍しかったと思うが、
このタイミングで僕らのクラスは学級崩壊した。


まず席に着く生徒は誰もいなく、
登校はするものの、ストーブ周りに集まっては
ゲームボーイをしたりマンガを読んだりする。
給食は勝手に屋上に持って行って食べる。

授業を受けた記憶はなく、
僕の脳みその中は小4で教わるはずの勉強が欠けている。
比較的おとなしいタイプの僕もそんなだったから、
ホントに教室中が狂っていたんだと思う。

他の先生が見に来るといったん収まるが、すぐ元通り。

この状態は結局1年間続き、
次年度に先生は養護学校へ転任させられることになった。


「これだから新任の先生は頼りなくて困る」
僕の両親を含め当時を知る大人たちは今でもそう思っているだろう。
1年前このクラスで何が起きていたのかは子ども達しか知らない。

新任先生が去る日、
「先生が悪い訳じゃないんだよ、
3年生の時のクラスがとても酷かったんだ」
そんな風に声をかけたのを今でも微かに覚えている。
(なのに僕もマンガ読んでたけど)


この時の経験があるから、
昨今の教員による不祥事系ニュースも、僕はあまり驚いたりしない。
先生も人間で、いろんな人がいる。
信用していないとかじゃなくて、
ただいろんな人がいるというだけ。

僕は多くの学びを得た。


人間をコントロールすることは不可能。
無理な抑圧は反動を招く。
子どもは素直で純粋ゆえに怖い。などなど。


子ども自身も怖いけど、
関わる大人が負うべき責任という意味でも怖い。
というか重い。


それは普通に授業を受けているよりも、全然価値ある学びだったのかもしれない。

そして現在の話に戻る。


昨日、開放している自宅居場所に多くの小学生が来た。
始まって以来の賑わいと言ってもいい。

学校なのか、家庭なのか、社会なのか。
僕には犯人探しをする意図は全くない。

ただ、子ども達の”タガの外れ”っぷりに、日々何かを我慢している彼らの姿を想像して、自身の小学生時代を重ねた。


僕の記憶と昨日の体験を勝手に結び付けることは、乱暴というか妄想というかフィクションの域に入ってしまうような気もする。
でも、子ども達の向こう側に、抑圧されている彼らの日常がうっすら透けて見える自分がいる。

それは朝来市だけの問題じゃなくて、むしろ子どもだけの問題でもなくて。
現在はコロナも理由となって、誰もが何かを我慢しているんだろうな。


特に何をどうすればいいという課題解決的な結びがある訳でもないんだけど。
どうすればいいんだろうなぁと、僕はただ考えている。


これまでさんざん抑圧してコントロールしてきた大人側の責任として、子ども達のデトックスが済むまで見守るしかないんだろうな。とりあえず。

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