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1998年の重大局面

めったに自分の来し方を思い返すことはなく、ましてや「あの時、あっちの選択肢を選んでいたらどうなっていただろう?」なんて妄想をすることはほぼないのだけど(自分とは関係のない妄想はよくするのだが)、文庫の『全裸監督』を読んでいたら唐突に思い出した分岐点があった。

時は1998年、会社を辞めて、(数年前に中退していたつもりだったが、なぜか単位は留保されていた)大学に戻ろうとしていたわたしは、当座の学費を稼ぐためにアルバイト先を探していた。バイト雑誌を読んでテキトーに選んだ2社に履歴書を送ると、それぞれすぐに連絡があり面接を受けた。

最初に面接を受けた会社は、バイト雑誌には「ウェブサイトをつくる仕事です」とあり、実際とてもおもしろそうな職場だったのだが、面接担当者が面接の最後に卑屈な面持ちで「ウェブとはいってもエロ系のサイトなんだけどね」とささやくように言うのが気にかかった。そんなことは面接場所である会社を少しのぞけばだれでもわかることで、かつウェブサイトをつくることには違いがないのだから、最後に付け足すような話ではない。最初に堂々と言うか、最後までシラを切ればいいだけなのにな、と思った。

次に面接を受けた会社は外資系風の会社で、それまでわたしが知っていた昭和チックな会社の雰囲気とは200%違っていた。面接官はいたってまともで仕事に誇りをもっているように映ったが、面接中、わたしはその方や同僚のデスクと思しきスペースに、家族の写真が飾ってあったり、同僚や上司や部下からと思われる “Thank you!!” とか “Great Job!!” とか書いてあるメッセージカードがベタベタと貼ってあったりするのが気になって仕方がなかった。正直、「こんなところで働いて、わたしは恥ずかしくなったりしないだろうか?」と感じたが、もちろん口には出さなかった。

どちらも面接の結果を翌日連絡するとのことだったが、それは形式的なもので、たぶん面接を通過するだろうことは雰囲気でわかっていた。そして、これらのバイトを掛け持ちするわけにもいかないだろうこともわかっていた。わたしはアルバイト先を選ばなければならなかった。
アルバイト先なのだから、そんなこと真剣に考えなくてもよかったのだが、わたしにはめずらしく少し時間をかけて考えた。といっても30分くらい。というのも、その前にわたしがいた、生まれて初めて就職した会社は、大学を中途半端に辞めた身分であるにもかかわらず、何も言わずに一介のアルバイトであるわたしを拾ってくれ、さらに社員にまでしてくれた会社だったのだ。バイトだとか正社員だとか、(いまであれば)派遣社員であるとかいった立場は、個人個人が仕事に向き合うにあたってはなんの違いもないということを教えてくれたのだった。その経験の直後だったので、真剣に検討したのだと思う(30分だけだけど)。

おもしろそうな仕事を卑屈にやっている雰囲気の会社と、おもしろそうかどうかはわからないけれど仕事と環境に誇りをもっているように感じられる会社と、どちらを選ぶか? 熟考に熟考を重ねた結果(30分だけど)、わたしが選んだのは後者の会社だった。決めては面接官の態度だった。そしてその選択は正解だったと思う。その会社でわたしが卑屈に仕事をすることはなかったから。

いまのわたしだったら、どっちを選んでいたかな? と珍しく考えた。そして、もし前者を選んでいたら、もしかしたらわたしはズブズブとウェブサイト制作のおもしろさに引き込まれ、大学に戻ることもなく結婚することもなく(結婚しようと思ったのが復学のひとつの大きな理由だったんだけど、それについては話が長くなるので省略)、その後、編集会社に就職することもなく、離婚することもなく、だから再婚することもなく、その結果コドモやイヌに囲まれることもなく、佐久にも引っ越すこともなかったんじゃないかと思う。そのかわり、1998年当時でウェブサイトを構築するスキルを学んだことで、まったく違う仕事の世界が待っていたかもしれない。

どちらがいいかはわからないし、わかりたくもないが、ひとつだけ言えるとすれば、どちらの道を選んだとしても、後悔はしなかっただろうということだ。そして、人生の重大局面は、案外そんな些細なところにひそんでいるのではないか、と思う。

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