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映画文化の違いと“作家の映画”

 私は映画研究者として30年以上、国内外の映画文化を観察しつづけていますが、日本のそれに関して不思議に思ってきたことがあります。
 日本の映画ファンや批評家の多くが、“名作”とされる映画作品の価値が永久不変であり、それらに倣って映画を作ることが“上手くなる”条件であるかのように語りがちだという事実です。その一方で、カンヌ映画祭などでの評価を無条件で受け入れる傾向も観察されます。しかし、映画に対するこの二つの態度は矛盾しています。なぜなら、大きな映画祭で評価されるための必要条件は、表現やテーマの扱い方が“新しい”こと、つまり往年の名画や既存の傑作と異なっていることだからです。
 この矛盾は、日本のシネフィルのあいだに奇妙な評価基準の分裂が生じていることを説明してくれます。例えば、クリント・イーストウッドのような、客観的に見ればハリウッド商業映画の優れた演出家である監督を“映画作家”として持ち上げる一方で、ホン・サンスやペドロ・コスタその他、世界的に見ても限られた需要しかないヨーロッパの映画祭における受賞者の作品も可能な限り観て、それについて論じるという態度です。しかし、しばしばそこで見過ごされているのは、彼らの作品が評価される前提となっている映画文化の違いです。
 映画文化は、映画作品と映画に関する言説だけによっては発展しません。映画文化の主要な構成要素としてはそれら以外にも、映画観客、映画産業、映画教育、映画政策があり、そのどれもが重要なのです
。私はこのことを、10年前に刊行した『映画 崩壊か再生か』の中で述べています。
 
 商業映画と“作家の映画”の本質来な違いは、前者の美学的な保守性にあります。美学的な保守性は大衆観客の支持を得るために必要なのです。そのため、アメリカのような社会では、映画を通じての社会批判は普通に行われていても、映画美学的な実験はめったに行われません。スピルバーグやイーストウッドは、ヨーロッパの映画作家たちとは、文字通り“別の世界”に住んでいます。後者はしばしば共通の映画基金(Eurimages)からの援助によって低予算で映画を作り、大きな映画祭への出品を通じて世界市場にアピールし、創作を継続しています。トルコのN.B.ジェイランなどもそうでした。
 一人の人間に与えられた物理的時間には限りがあるため、同時に複数の映画文化に属することはできません。NetflixやAmazonが映画制作や“作家のドラマ”制作にも乗り出して多少状況は変わったとはいえ、それぞれの映画文化内部における価値基準は数十年かかって形成されてきたため、アメリカで急にヨーロッパ的な“作家の映画”が主流になることはあり得ません。『ノマドランド』があれほど国際的な評価を受けたあとでも、アメリカ映画の主流は依然としてハリウッド製娯楽映画でしょう。
 映画文化は動態的なシステムです。“作家の映画”や“アートハウス”に一定以上の需要が生じるためには、システムとしての映画文化全体がそのように条件付けられなければなりません。それぞれの地域や国で映画文化のあり方は異なっており、“作家の映画”が制作されたり評価されたりする時の前提条件も違います。それが変化するためには何十年もの時間が必要です。

 映画文化において、映画産業や映画政策の違いは重要です。詳しくは前出の『映画 崩壊か再生か』をお読みいただきたいのですが、日本の映画政策においては、フランスはもちろんロシアと比べても“作家の映画”への援助体制が貧弱です(もっとも10年前のデータなので今は改善されているかもしれませんが)。
 どうやら日本では、あれこれの映画作品が制作され評価された背景である経済的な諸条件、文化的環境、歴史的状況が、軽視されているようです。ハリウッド映画に対する一種の信仰めいた思い込みも、日本の映画文化、特にその構成要素である映画に関する言説に目立っていたように思います。そのような映画に関する言説が主流になっていること自体、日本の映画文化が1980年代バブル時代と同様に全体として外部依存的である、つまり独自の理念が何もないことを示しているのです。

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