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“作家の映画”を読解する:タルコフスキーの「SF的」構想について

(この記事は、2017年12月にYoutubeで公開された同名のビデオで話した内容に加筆したものです)
 
 このビデオでは、アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(72)と『ストーカー』(79)について、日本であまり知られていない構想の誕生から作品完成までの過程をお話します。
 この2つの作品に関して、私は今年(注:2017年)「増補改訂版」が刊行された『タルコフスキーとその時代』(2011、アルトアーツ)にも書きましたが、ロシア本国では2010年代に入ってからもこれらの作品の創作過程に関する研究が続けられていて、「増補改訂版」にも載せられなかった事実も分かっています。今回はそれを中心にお話ししたいと思います。

”ジャンル映画”とソ連映画産業の興隆

 『惑星ソラリス』と『ストーカー』の原作は、どちらも有名なSF作家の長編小説です。前者はポーランド人スタニスワフ・レムの『ソラリス』、後者はソ連のストルガツキー兄弟による『路傍のピクニック』に基づいています。しかしタルコフスキー自身はSFというジャンルをむしろ嫌っていました。少なくとも、彼自身が書き残した文章や『惑星ソラリス』で美術を担当したミハイル・ロマージンの回想によればそうです 。
 タルコフスキーの他の作品と比べてみると、この2つの作品にはいわゆるジャンル映画の特徴が目立っているのが分かります。ジャンル映画とは、ジャンルの約束事に基づいて一般観客向けの公開で利益を生むことを前提として製作された映画です。ジャンル映画は、そのジャンルを好む平均的な観客の好みを考慮して作られ、そのテーマや筋立てやスタイルはある程度まで画一的で、「紋切り型」が多いのが特徴です。一般的に言って映画の製作者達には、先行する成功作から観客がそのジャンルに期待しているパターンを抽出し、商業的リスクを避けて利益を上げるためにそれを踏襲する傾向があります。そのため映画のジャンルは、演劇や文学のジャンルと異なって市場の需給関係に大きく左右されます。その傾向が顕著に現れている作品群がジャンル映画だと言えるでしょう。

 SF映画では、同時代の観客の目からみて極めて異常な状況が発生し、主人公達が科学的或いは擬似科学的な手段を用いて理性的にそれに対処し、最後には危機から脱するという筋立てが一般的です。ファンタジーやスパイ映画や冒険映画との違いは、異常な状況から脱する手段が科学的或いは擬似科学的に説明されていることです。そして対処すべき異常な状況自体も、普通は映画の冒頭又は前半部分で説明されます。
 ソ連でも、映画産業が黄金時代を迎えた1950年代末から80年代初めにかけて、数千万人規模の観客を動員したのはジャンル映画でした。コメディーやメロドラマ、戦争映画、探偵もの、冒険映画はこの間常に人気のあるジャンルでしたが、1960年代にはSF映画でも大ヒット作がありました。1962年に公開され、6千500万人を超えるソ連映画史上最高の観客動員を記録した、アレクサンドル・ベリャーエフ原作による『両棲人間』がそれです。同年に公開されたタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』は、タルコフスキーの作品としては珍しく観客動員数が多く1600万人に達していますが、それでもソ連映画の歴代記録の上位700位にも入っていません(*)。

(*)
参考(1)ソ連時代のタルコフスキー作品の観客動員数:
『ぼくの村は戦場だった』・・・・1670万人
『アンドレイ・ルブリョフ』・・・・290万人
『惑星ソラリス』・・・・1050万人
『鏡』・・・・220万人
『ストーカー』・・・・430万人

参考(2)ソ連映画産業黄金時代の主要ヒット作と観客動員数:
『両棲人間』(62)・・・・6540万人
『戦争と平和』(66) 第一部・・・・5830万人
          第二部・・・・5800万人
『ダイヤモンドの腕』(67)・・・・7670万人
『ここでは起床ラッパは静かだ』(73)・・・・6600万人
『ジプシーは空に消える』(76)・・・・6490万人
『20世紀の海賊』(80)・・・・8790万人
『愛と鳩』(84)・・・・4450万人
(出典:西周成『映画 崩壊か再生か』、2011年、アルトアーツ、23頁) 

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