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【大人の為の深める音読2♡】

伝わる日本語と、伝わりづらい日本語の違いは何だろう?『松永式古典音読』を続けていると、その違いがよく分かる。
「音(ヒビキ)」と、
「リズム」の違いだ。
長い長い時を経て、消えることなく現代に残っている古典の名作には、この2つが踏襲されている。

古今和歌集の撰者であり、土佐日記の作者と言われている和歌の先生である紀貫之の母親は、宮中で人々に音楽を教える所に勤める、歌って踊れる人だったと言う。つまり、紀貫之は、子供の頃から母親の「音(ヒビキ)」と「リズム」に接していたこともあり、素晴らしい天才性を発揮したようだ。

古典音読のテキストで取り上げられている古今和歌集は、平安時代前期の勅撰和歌集で、その後の日本語の元になっていると松永暢史先生はおっしゃる。

後に平安貴族にとってなくてはならない「教養書」となり、清少納言や紫式部なども、子どもの頃から音読暗記させられ、その影響を受けて素晴らしい文学を残すこととなる。

中でも紀貫之の書いた「仮名序」は、平安貴族の間で最も多く読まれた散文で、日本語の散文の大本となっている。

松永先生曰く、「これこそすべての日本語の『手本』になっている。」とのこと。

今日の「大人の為の深める音読」のレッスンでは、この「仮名序」の一部を生徒さんと一緒に音読して味わってみた。

音読すればする程、「音(ヒビキ)」と「リズム」がピッタリと決まっていて、意味も現代文のように無理なくスッと入ってくる。
噛めば噛む程味が出るスルメのように、何度読んでも飽きが来ない。

「カタカムナ読み」
「一音一音切り読み」
「祝詞読み」
「すらすら読み」
「ののしり読み」

どの読み方をしてもピタッとはまる美しい名文だ。1,200年前に書かれているにもかかわらず、色褪せることなく、そのまま現代の日本語に通じているのだから、本当にすごいと思う。

今日の生徒さんも、実際に音読してみて「ちゃんと意味もわかるし、すごいわね。(音読は)ちょっと体力がいるけど、みんなやったらいいのに。」と感心していらした。

そう、音読しないと、この美しい日本語の「音(ヒビキ)」と「リズム」は分からない。そして、一度体験すると、病みつきになるのだ。(笑)

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