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【カミのエネルギー♡】

今日は、朝から日本語音読体験会だった。電車に乗って浦和の会場へ向かう途中のこと、改札口を通って、ホームへ早足で歩いていると、一人の男の子が立ち止まっている姿が目に入る。斜め掛けしたカバンの中に手を入れて何かを探している様子だった。よくある光景で、一瞬そちらに目をやってそのまま通り過ぎるが、次の瞬間、泣きそうになる。何だろう?何で泣けてくるの?と頭で考えながら、心はすごく揺れていた。

その男の子は、いわゆる「ダウン症」の子どもで、付き添っている親御さんの姿はなく、一人立ち止まり、上半身を少し前にかがめて、片手をカバンの中に入れて一生懸命に何かを探しいる様子。カバンの中の手の動きがとても丁寧で優しいのが印象的だった。

ほんの一瞬のこと、急に泣けてきた自分に何が起こったのか分からなかったが、後で振り返ってみると、彼の全身から伝わってくる、あまりにも優しくて、無垢で、温かいエネルギーに触れて、心が揺れたのだと思う。

前にも同じようなことがあった。電車の中で盲導犬を見かけた時のことだ。盲人の飼い主が電車の座席に座っていて、その足元に盲導犬がお行儀良く、他の人の邪魔にならないように伏せの体勢で寄り添っていた。良く見ると、前足の接地部分の毛が禿げている。揺れる電車の中、いつも同じ体勢で、ぐっと力を入れて自分の身体を支えているうちに、その部分の毛が禿げてしまったのだろう。その姿を見た時も心が揺れて泣けてきた。

人間と犬を一緒にして不愉快に思う方もいるかもしれないが、誤解を恐れずに感じたまま伝えると、その時も、男の子と同じようなエネルギーを感じていたのだと思う。

この2つの経験の共通点は何だろうと自分なりに考えてみた。一瞬で、心が揺さぶられる優しくて、温かいエネルギーの正体は何だったのだろうと。

至った結論は…「我」が無いといこと。「自分が」と言う主張が無いから、そのエネルギーは、無限に優しく、柔らかく人を包み込み、接する人の心をときほぐすことが出来るのではないかと。

私の拙い言葉では上手に表現できないが…良く言われる、神社の御神体の「カガミ」の「ガ」を外したら、「カミ」になると言う話しがあるが、確かに、この世に神様がいるとしたら、「カミ(神)」様のような全てを包含するエネルギーだった。

平凡な人間の私は、「我」を外せと言われたところで、そう簡単にはいかない。損得無しに100%人の為に尽くそうと思っていても、どうしたって自分かわいさが出てきてしまう。

朝、目の前に現れたあの男の子は、そんな私を一瞬で、「カミ(神)」のようなエネルギーで包み込んで、道標のように教えてくれたのではないかなぁと想像した。

朝の一瞬の出来事だったが、忘れられない不思議な体験だった。

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