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【サヌキとアワ♡】

本日は、松永暢史先生板垣昭子さんの対談会〜サヌキアワについて〜に参加する為、西荻窪にある「ほびっと村」に訪れた。2日連続してお二人のお話を伺う、濃密な時間が続く。

昨日のスカイホールとは違って、畳のお部屋に座布団を敷いて、昔の村の寄り合いのようにお二人を囲むようにみんなで車座に座る。中にはチラホラと男性もいらっしゃった。

まずは、松永先生の誘導でいつもの音読体験から。大きな口を開けて「母音」と「子音」の発音してから、カタカムナの5首と6首を一緒に唱和する。それはお坊さんの声明のように、全員の声が美しくハモり、その調和した振動で一人一人がチューニングされて、場が整うような感じがした。

そして、「サヌキアワ」についてのお話へと移る。
松永先生の曰く、「俺だ、俺だ」と出て行って何か掴もうとするのが「サヌキ」で、深いところを身体で感受するのが「アワ」であると。

また、私たちの今の状態を「境遇」と言い、「境遇」以外の一切は「環境」であり、「環境』とは、家族環境、社会環境、学校環境、自然環境などが含まれる。

で、私という「境遇』とその周辺の「環境」の間で何が行われているか

環境」から情報を受け取り、刺激をもらうと、そこに「好奇心」が生まれ、私たちは「好奇心」のある方へ向かって行き、実際に触ったり、食べたりして追体験をする。好奇心が生まれたら、そこへ向かって追体験をする。これが「サヌキ」。

一方、刺激を受けたら、身体で感受して、その心情を表現したくなる。例えば、「暑い!」と感じたら、「冷たいビールが飲みたい!」と表現したくなる。これが「アワ」。

刺激→好奇心→追体験が「サヌキ
刺激→感受→心情表現が「アワ

刺激を感受して心情表現が出来る女性の方が、男性より相対的に優れていると松永先生は観察していて、ならば、その優れている感受性、心情表現をちゃんと使えるようにしようとしても、受験などで暗記をやり過ぎてしまうと、そういうことより別のことに価値観が移ってしまう。

が、本来、道、学、芸、術、技においても、深く感受して、そこに心情を乗せて表現出来ることが、サルとは違う人間として、周りに流されずに生きる上でとても大事なことだとおっしゃる。

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