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【埼玉の真ん中で♡】

母音を響かせる活動を続けてはや半年ちょっと。旬子さんとスタートさせたさいたまの音読道場、お陰様で一歩一歩確実に進んでいる実感がある。
昨日は、午前中2コマ、午後3コマの計5コマをみっちりと音読した。
「体験会」が2コマ、「大人のための深める音読」1コマ、子どもの「音読・サイコロ道場」が2コマ。大人向け、子ども向けの両方をバランス良く開催できた。こんな風に活動日にレッスンが埋まるのが理想だねと旬子さんと話す。

「古典音読」「カタカムナ音読法」は、日本語の了解能力が飛躍的に伸びるメソッドとして、松永暢史先生が発見され、これまでたくさんの子どもたちの学力をアップさせてきた実績がある。「古典音読」は、母音を響かせて、一音一音切って読むだけのとてもシンプルな方法なので、誰でもできる、頭のよくなる方法だ。

「日本中の子どもたち全員がやったらいい。(音読を)やるとやらないでは、その差があまりにも大きすぎるから。」と松永暢史先生はおっしゃる。「でも、私一人の力では限りがあるから、どうぞ皆さん、よろしくお願いします。」と丁寧に、日本語音読指導者養成講座終了後、一人ずつ修了証を手渡された。こうして、いつも100%子どもたちの味方でいらっしゃる先生の想いを引き継いで、日本語音読指導者になったわけだ。まずは、地元のさいたまで広げようと、昨年の9月24日、同じさいたま市在住の旬子さんと一緒に浦和で体験会を開催したのが始めの一歩だった。

そこから半年間、二人で試行錯誤を重ね、体験会の内容も当初に比べれば、かなりグレードアップされたと思う。お陰様で現在では、継続レッスンの生徒さんが大人と子どもで10名を超えるようになった。

先にも述べたように、「古典音読」でやることはとてもシンプルだが、やればやる程、音(声)の響きが深まってゆき、それと同時に言葉に対する感覚も深まってゆく。
元々、武道やダンスなど身体を動かすことが好きの感覚派の人間でどちらかと言えば、非言語的なものに重きを置いていた傾向があったが、「古典音読」によって、日本語の音とリズムが身体に入ってくると、言葉に対する感覚が磨かれていき、それによって自分の感覚が更に変化していることを感じている。言語も自己表現の大切な手段の一つだし、自分の心をさらに自由にしてくれるものだ。

私たちは、オギャーと生まれてから、あの世からお迎えが来て死ぬその時まで、毎日、この日本語を使って暮らしている。日本語力を磨くことによって、大人だって、頭が良くなるし、もっと自由になれるのだ。遅すぎるということはない。

さて、ここから半年後…さいたまの音読道場はどうなっているのか?私たちは、まだまだ成長していく。

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