20230702_ホモソーシャルの儀式「のぞき」で、思い出した話

 男子高校生が修学旅行の露天風呂でのぞきや盗撮をやっていた事件について、呂布カルマが男子生徒たちのリビドーを全肯定し、twitterが荒れている。
 おまけにダメ押しで、呂布がいつものようにエゴサしまくってアンチリプ送ったアカウントを直接潰しに行きまくって、例によってミソジニー丸出しのスタンス全開でいってるので、そこでまた荒れに荒れている。

 “やんちゃ”なのぞき話ねぇ。
 昭和の新日本プロレスで藤原喜明や佐山サトルが巡業先の女風呂のぞいてた話とか、僕も昔から大好物だったんだけど、それは昔だから何も考えずに楽しんでたと過去形にすべき話で、現在進行形で楽しんじゃいけない類の話なことぐらいは、さすがに僕でもわかってる。
『フリースタイルダンジョン』での椿さんとのラップバトルをリアタイしてた当時、何がマズいのか正直ボンヤリよくわからなかったんだけど(ごめんなさい!)、今なら問答無用にダメだとわかるよ。
 いや〜ダメだわー。ないわー。呂布カルマ。

 さて、呂布カルマのツイートから発生している「10代男子のコミュニティ内でのホモソーシャルなふるまい」の話、僕も中学時代に思い当たることがある。
(※以降の話は、性的な内容を含みます)

 僕は、小学校ではいじめられっ子で、中学ではガリ勉だった。そんなんだから、小学校でガキ大将で中学でマイルドヤンキーな同級生の男子たちと微妙に距離感あって。やんちゃな同級生たちのワイ談に入ってく勇気なんて、到底なかった。もちろん年頃の男子中学生だから、僕ももちろんヤることはヤってたんだけど。

(twitterのツリーでは割愛したんだけど、ここでちょっと補足。小学校でいじめられっ子で中学でガリ勉だった僕は、中学では自然といじめに遭う機会が減っていった。一部のいじめっ子が他の学区の中学に進んだり、別のいじめっ子は成長に伴い落ち着いてくれたのもあるけど、中学生ともなるとちょっと賢くなるのか、「大人になったら最終的には、ケンカが強い奴より勉強できる奴が有利になるんだぞ」っていう世の真理に、皆が薄々気づきだすのかな。小学生の頃はテストで100点取ると「生意気だ!」って殴られるから、100点取れるテストも75点程度になるように調整して提出していたのに、中学で100点取ると、皆が称賛してくれた。生意気だなんて誰にも言われないようになった。それが嬉しくて、受験勉強もますます一生懸命頑張れた)

 で、最後のクラス替えで過ごした中3のクラスが、マイルドヤンキー率高めの、教師目線からしたら落ちこぼれに当たるクラスだった。学校行事やらせたら誰もマジメにやらないのでことごとくドンケツ、だけど野球やらせたらめちゃくちゃ強い、そんなやんちゃくれ集団の“落ちこぼれ”クラスだった。
 小学時代いじめられっ子で、中学ではガリ勉で過ごしてた僕には、このクラスで心地よい居場所を作るのは至難のワザだった。その前の中2では、学年主任肝煎りの優等生揃いのクラスにいて、穏健な恵まれた環境でスクスクと自己肯定感を育めていただけに、前年とのギャップにも過ごし辛さを感じていた。

 あれは中3の2学期入ってすぐだったか。
 夏休みを越えた高揚感と寂寥感、二つの相反する感情がそうさせたのだろうか。ある日なぜか僕は、ヤンキー寄りの男子たちの雑談の輪の中に交じることになった。クラス替え以来初めて、僕はやんちゃな同級生たちのワイ談に参加した。
 話した内容は実に他愛もない。俺も毎日(皆と同じように)シコってるよとカミングアウトしただけである。それだけの内容でも、僕がそう言うのがよほど面白かったのか、元ガキ大将たちの嬉しそうな顔といったらなかった。
「なんだよ〜コウイチもちゃんとヤってたのかよ〜! よかった〜仲間じゃん!」

 その日以来、クラスのやんちゃくれの皆と劇的に距離が縮まった。元いじめられっ子の僕が、休み時間(時には授業中にも)に大声で騒ぎたてる楽しさに味を占め、いっぱしのクソガキを気取るようになっていた。 
 同級生のスカートが長いスケバン格の美人とも
「コウイチ、10万円くれたらヤらせてあげるよ!」
と冗談を飛ばされるぐらい仲良くなっていた。受験が終わる頃には、元ガキ大将たちと野球の帰りに公園でカップルのアオカンをのぞく遊びにも参加するようになっていた。

 まだ幼かった僕は、「ちょっと悪い友達とも遊べる俺」に完全に酔いしれ、のぼせ上がっていた。でも、見る人から見れば、未熟な僕が分不相応に背伸びして、自分を安売りしているのは、火を見るより明らかだった。あれは受験も終わり、卒業を間近に控えた頃の国語の授業。忘れもしない。
 永遠の文学青年然とした、ちょっと尖った国語の先生は、ずっと僕を「読解力がある、感受性がいい」とやたら贔屓してくれていた。3年の2学期の通知表には、「+」が3つも付いた特上の「5」を貰って、最大限の評価に飛び上がるほど嬉しかった。 
 その先生が、授業の最後に名指しで僕だけに向かって怒りをぶちまけた。

「コウイチ……この馬鹿タレ。お前、この3年間いったい何を学んできたんだ? ◯◯先生から何を教わってきたんだ? それがお前の3年間の答えか? 何で俺が怒っているのか、お前自身の頭でよーく考えてみろ」

 明らかに、積もりに積もった怒りが止めどなく溢れている様子だった。いや、怒りよりも悲しみだ。僕にだけまっすぐ怒りをぶつける先生の顔が深い悲しみに包まれていたのは、当時の幼い僕でもよくわかった。
 僕は、狭い子ども社会でうまく承認を得た引き替えに、僕の才能を信じてくれた大人の信頼を失ったのだ。

 そして、卒業の日に貰った最後の通知表。国語の成績は+が1つも付いてない「4」に下がっていた。
 これは、ただ単に通信簿が5から4に落ちた話ではない。「お前には心から失望した。俺は悲しい」という、先生からの最終通告だった。失った信頼の大きさを改めて思い知り、目の前がぼうっと白くなった。

 下ネタの輪に飛び込んで承認されるというのは、間違いなく10代男子コミュニティのホモソーシャルに他ならないだろう。
 幼稚だった当時の僕は、この環境でうまく生きるにはそれが最適解とばかりに、クラスのやんちゃなホモソーシャルに自分をアジャストしに行った。そして、真に僕を評価していた大人からの信頼を失った。

 ちなみにこのクラスには、前期で生徒会長、後期で学級委員を務め、学年トップクラスの秀才を誇る、完全無欠の超優等生もいた。彼は1年間、マイルドヤンキーな同級生たちとはきっちり距離を置き続けていた。このクラスで無理して居場所を作る必要はない、とはっきり割り切っているように見えた。
 未熟で足りない僕と違って、クラスのホモソーシャルなコミュニティに見向きもせず、彼は揺るがぬ自我を貫き通した。
 あの当時の僕が、彼と同じように理知的な自我を備えられていれば、自分を安売りせずに済んでたんだよな。それができていたら、今と人生変わっていたかな。変わらないかな。わからない。

 ただ、今なら確かに自信持って言えるのは、時代錯誤なホモソーシャルやミソジニーに頑と距離を取る強い自我を備えるのはやっぱり必要で、いざ直面したら、きちんと距離を取る行動を選択しなきゃいけないんだよな。
 ただ、あの頃の僕には、幼すぎてそれができなかった。
 ちゃんと自分の人格、大事にしたいよね。たとえ10代でも。

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