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子供の頃を思い出して 悲しくなるのはやめようと思っても、 吐き出して想いを供養しないと、 その想いはいなくならない。 自分供養と自分との別れは常に大事だと思う。 自然消滅って意外にないもんだな。 無意識の中に潜まれたら、見逃してしまいがち。 そんなことを思う。 何かを食べてる時にふと思い出す 50年以上も前の思い出。 なんか、奥歯の虫歯に挟まって 化石にでもなったような 真っ黒い、臭い嫌な思い出。 そこまで遡っていくと、 亡くなった親は、今の自分より年下。 許してやれよ。
夢で見たのか夢で移動しまくったのか、 様々な時代の自分に乗り移りながら、 世界線の修正を行うたびに心の中のブロックが 一つづつ修正されていく過程を眺めながら 要所要所にジャンプしまくっていた。 過去も未来もなく 全て同時に存在してるぐらいの感覚だった。 向こうでリセットしたら こっちもスッキリすることの繰り返し。 でも、ずいぶんあるもんだなと思った。 些細なことで些細なブロックの積み重ね。 未来の分やら異世界の分やら 異次元の分もあったような気がしつつも、 あまりに今、目で
より志高く慈悲深い人格者を見習おうと、ネットの有象無象まとめやら、そこいらの図書館やテレビや大学キョージュに話を聞いても、個人の一定の価値観か、一般ジョーシキと周知されてる範囲までのネタ。もしくは関係者やスポンサーに一定の利益をもたらす方向性で編集担当者のいいなりになる物書きが書く物語、または一方的な創作のシナリオがベースでしかないことはもはや説明の必要もなく。 そんなことよりも、貧乏人にメシ大盛りしてくれたりする近所の定食屋のおばちゃんや、人知れず夜明け前後に落ち葉掃除を
無限に同じ立場を続けるから飽きが来ておかしな事になる。 たまには逆の立場をちょこちょこ入れ替えてみれば、 意地悪な人の気持ちも虐げられて追い詰められた人の気持ちも わかるようになる。 その上でようやく優しくなれた人々を羨むのは筋違い。 仕返しも猿のおナニーも虚しいだけなのにな。 際限無いのは無限地獄なのにな。 全てほどほどに楽しんで、 なんかひとつ鬼の如く集中して 極めて楽しみ尽くす喜びに浸れた人の数は多くはないだろうけど。 他人の言うことやら社会の情勢やらに まともに向