家出した時、おじいちゃんは僕に質問をした。


これは、僕が小学六年生だった頃の話です。

当時、僕が住んでいた地域では数ヶ月に一回集まりがあって、たくさんの家族が集まって食べたり飲んだりしていました。

加えて、季節によって行事もやりました。夏休みはラジオ体操、冬は焚き火、ドッジボール大会なんかもありました。

その中の一つに、夏が終わって夜が涼しくなってきた頃、「十五夜」という行事がありました。

地域で重機を持っている農家の方とお父さん方が協力して簡易的な土俵を作り、子供たちが相撲をとるという内容でした。

僕は、年に一度のその行事が大嫌いでした。

僕は体の線が細く、同級生たちに振り回されることが目に見えていたからです。

しかし、断ることもできず、僕は月が明るい夜の土俵に立ちました。

地域の大人たちがお酒を飲みながら、僕と、同じ土俵に立っている同級生に視線を集めました。

僕はええいままよと、突っ込みましたがあえなく吹き飛ばされました。

すると、どこかの酔っ払いが、

「○○ちゃんでリベンジ!」

と叫びました。

母の名でした。

「ええ〜」といいながら、母は土俵に上がってきました。

僕の体格と母の体格は同じくらいでした。それどころか、身長は僕の方が大きいくらいでした。

お母さんに相撲で負けるわけないよ、と笑い飛ばす僕でしたが、

いざはっけよい、のこった

次の瞬間に、僕の視界は180°見事にひっくり返りました。

何が起きたのかわかりませんでした。

酔っ払いの笑い声が、段々と遠のいていくのがわかりました。

僕は、一瞬で母に投げ飛ばされたのです。

恥ずかしい。

恥ずかしい。

小学校6年生にもなって、お母さんに投げ飛ばされるなんて。

そもそも、こんな行事出たくなかったんだ。

恥ずかしい。

笑わないでよ、

逃げ出したい。

僕は、土俵から下りて走り出していました。



僕が逃げ出してすぐ、同級生が心配して捜索をはじめました。 

僕は、それがものすごく嫌でした。

「僕くーん、どこー?」

母親に相撲で負けて、逃げ出して、その後、同級生に励まされるなど、小学6年生の僕には耐えがたい屈辱でした。

僕は逃げ回りました。

逃げ回って逃げ回って、近所にある、おじいちゃんの家にたどり着きました。

「じいちゃん」

「おお、僕くん、どうしたのこんな遅くに」

(行事は19時ごろでしたが、おじいちゃんはもう寝る時間)

「じいちゃん、今日泊まらせて。」

僕は、おじいちゃんの家に匿ってもらうことにしました。ここなら、友達はこないでしょう。

「おお、好きなだけ泊まっていきなさい。」

おじいちゃんは快諾してくれました。

しかし、おじいちゃんの家に着いて半刻ほどしたところで、電話がなりました。

あちらの方ではどうやら少し騒ぎになっていたらしく、大人も加わって捜索が始まっていたらしい。(同級生がいらん正義感を働かせてしまったようだ。)

電話を切ったおじいちゃんは、僕にゆっくりと近づいて、ハッと思い出したように紙と鉛筆を持ってきた。

おじいちゃんは紙に、

3/2÷5/6

と書きました。

「僕くん、これ解ける?」

突然言われてびっくりした僕でしたが、分数の割り算は最近習った計算だったので、簡単に解けました。

「これは、逆数をかければいいんだよ。」

僕はおじいちゃんに教えます。

「おお、すごい、どうして知ってるの?」

「学校で習ったから」

「誰に習ったの?」

「先生」

「そうか、先生に教えてもらったのか」

おじいちゃんは優しく笑いました。

「それじゃあ、僕くんはどうして学校に行くの?」

「え?それは、、別に…」

「学校に行きたくない時は、どうしてるの?」

おじいちゃんは質問をたくさん投げかけてきました。

「どうして勉強をするの?」

「いじめはなぜしてはいけない?」

「僕くんの大切なものは?」

「どうしてそれが大切なの?」

「お母さんとお父さんは、いつからお母さんとお父さんなのかな。」

僕は最初の割り算以外、ほとんど何も答えられなかったけれど、

おじいちゃんは、黙って僕の答えを一つ一つ待っていました。

そして、玄関の扉ががらがらと音を立てて、母の声がしました。

おじいちゃんは最後に、

「考えて、わかったら、おじいちゃんにまた教えてくれるね。」

と言いました。



「みんなに迷惑かけたんだよ」

母は僕を叱りました。

僕は俯いて、答えませんでした。

「もういい、頭冷やしなさい。」

僕は自分の部屋に入って、ベッドに潜りこみました。

色んなことが頭をぐるぐると回っていました。

言葉にできない感情がお腹の中で混ざりあって、出したくても出せずに、僕は声を殺して泣きました。



僕にとっての家出(?)はそれが最初で最後でした。


あれから月日が経って、僕は大人になったけれど、おじいちゃんの質問に答えられるかどうか、今でも自信がないです。

おじいちゃん、僕に子供ができたら、僕はもしかしたらその答えがわかるかもしれない。

それまでどうか、長生きしていてください。




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