卒業の言葉〜前編〜

まずは自分へ、卒業おめでとう。よくやった。

自分の大学生活4年間はこれで良かったのだろうかと何回も思う、もちろん色々な経験はさせてもらったし後悔はしてない(と思う)。

急に思い出したが、大学を選んだ理由は「大学受験に手を抜いた自分への罰、修行」だった。この禊は完了したと言えるだろうか。まだ足りないのだろうか、足りないのなら大学院まで行くべきだったのだろうか。4年前の記憶ともなると脆いものでほとんど忘れてしまった。

受験という競走から離れたことで、やっと休めると考えていた、だが休むことはできなかった。いや、休むことが怖かっただけかもしれない。周りが休んでいるところをたびたび目にしたときひたすらに羨ましかった...

小さい頃から褒めてくれることなんて無かった。期待されてもないのに何を頑張ってたのか自分でも分からなかった。でも出来ないと必ず叱られる。頑張るという言葉が大嫌いなのはここから来ているのかもしれない。

自分を投資商品として考える。株主(出資者)に対して利益の一部を配当として還元する(恩を返す)ことは出来ているだろうか、またそもそも利益をあげているんだろうか。チャートはもちろん市場の影響を受けて上下するが、それでも上昇トレンドであっただろうか。まあ所詮そんなこともできないボロ株レベルだったのだろう...

目の前のレールは自分が作ったものだろうか。他人が作ったレールは見た目はいいがもろく崩れやすい。それに比べて自分が作ったレールは見た目は悪いが丈夫だ、なぜなら自分の手で作っているから。

犀の角のようにただ独り歩め。振り返ると人には恵まれていたが、それを上手く活かすことはできなかった。摩擦からしか熱は生まれないから、自分はいつまで経っても冷たいままだった...