卒業の言葉〜後編〜

他人との衝突による摩擦、これを経ていない友情など脆いと考えていた。進学した大学の環境がそうだったのか、衝突を好まない人が多かったどころか「もう少し大人になれよ」と諭される始末。イベントを前倒しにして何が悪い、理解者は居ないまま最初に入ったサークルは1年で辞めてしまった。

対照的に大学に入って人生初めてのバイトは衝突が多かった分、多少の強度のある信頼関係は気付けていたと思う。ただ必要以上に相手を褒めておだてる必要があった。夜の22時から朝の5時まではたらいた後にすることではないでしょ、サークルをやめた数ヶ月後にやめた。

それからというもの、自分から誘ってメシに行ったり遊びに行くことはめっきり減ってしまった。人と会話することが友好度上昇ゲームのように思えてしまうからだ(もちろん誘ってもらったときは必ず行くけども)。だから大学に行かなくなっても誘ってくれる人たちがいるのなら、大事にしていきたいとしみじみ感じる。

これを書いている3月31日、大学が遠いという理由で卒業式に出ていなかった自分宛に郵送で卒業証書が届いた。高校の卒業式では泣いていた記憶がある、それは全力で楽しみ、苦しみ、達成感に浸っていたからことからくる涙だったことを今でも覚えている。さて今はどうだろう。エヴァンゲリオンで涙腺はゆるいはずだがなぜだか涙は出ない...

中学の卒業式でも同じように泣けなかった経験をしたような気がする。そうか、これは毎日を楽しめなかった自分への怒りでもあり、この期間に対しての正直な自己評価が感情として出ていたのか。口では、この文章の冒頭では「よくやった」なんて言ってたけど、心の中では全然そんなんじゃなかったのか...

これからは区切りをつけにくい社会人生活というものがはじまる。それが一つの節目を迎えた時、自分は達成感で泣けるような生活を送れるだろうか。いや、その時が来たら泣けるような日常を送ることを意識していこう。たとえ休めることが無かったとしても....