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株式会社ゲームエイトの社長に就任しました

みなさん改めまして、沢村と申します。
先週プレスリリースも出させていただきましたが、この7月1日より株式会社ゲームエイトの代表取締役社長CEOに就任することになりました。
(詳細は、こちらのプレスリリースをご覧ください)

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000058021.html

私自身、正直発信することは得意ではなくこれまで避けてきた分野。しかし、今日からはゲームエイトの代表として私たちの挑戦をより多くの人に知っていただきたいという思いで筆を取りました。
今後もnote含め積極的に発信していければと思っています。今更ですが、ツイッターも始めたので、是非フォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/sawashun8

一緒にビジョンを作るCOOとして

「沢村さん、一緒に経営しましょう」私がCOOとしてゲームエイトにジョインしたのは4年前。
入社を決めたきっかけになったのが、この「一緒に経営しよう」という代表の西尾さんからのコトバでした。

COOという役職は取締役を兼務していることも多く、その場合はボードメンバーとして会社の意思決定の段階から関わり文字通り「経営をする」わけなので、当たり前のことではあります。でも、実際のところ

COOの役割 
COOに求めること
どのような人物がCOOに就任しているか

は各社、独自の色が出る部分。
私自身、当時数社からCOOのオファーを頂く中でそのことに気づきました。

ビジョナリーなCEOの元、事業も軌道に乗ろうとしているタイミングで、ここからCEOの想いを形にし事業拡大して組織を作れる手練れのビジネスマンをCOOとして求めていた会社もありました。

既存事業が成熟しているため、新規事業を中心に立ち上げてほしい、というような会社もありました。
当時お会いしたCEO達は、みなさん素晴らしく実現したいビジョンに向けて突き抜けていくようなエネルギッシュな方々で多くの刺激をもらい、どの会社に行ったとしても新しい挑戦を楽しめそうな感覚はありました。

ゲームエイトとの出会いは、そんな時突然訪れます。当時、代表の西尾さんは28歳。物腰柔らかく少年のようで見た目からは社長とはわからない出立ち。(会社でもアルバイトとよく間違われていましたが笑)
多くのCEOが事業の将来性やビジョンを雄弁に語る中、彼はとても控え目でした。むしろ、課題を淡々と並べて「我々は未熟です、助けてください」というスタンスを崩さない、誠実な印象が強く残りました。

最初の出会いから2週間で7回ほど面談を申し込まれた後、最終的には当時住んでいた三鷹にまできて「沢村さん、一緒に経営しましょう」と言ってくれたのです。

その言葉が意思決定の決め手に。
私が、CEOが描いたビジョンを実行するCOOではなく、一緒にビジョンを作るCOOとなる道を決断した瞬間でした。

そこから約4年後の今日。ここからCEOとしての新しい道のりが始まります。

入社前に作った「3ヶ月プラン」

COOとしてゲームエイトに入社する前に作ったのは就任3ヶ月プラン
(尊敬するリクルートの大先輩にアドバイスを頂きながら作ったのを覚えています。)

テーマとして設定したのは、
・COO業務のオンボーディング

・事業/組織戦略の再構築
・社内キーマンへのアプローチ

入社前でしたが、西尾さんにも時間を作っていただき、方向性や価値観のすり合わせをスピーディに進めていきました。

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結果、入社3ヶ月でやったこと

・全社から部門まで一連の戦略構築
・製販一体の事業部制への移行
・経営企画組織の立ち上げ(特に経営管理機能の整備)
・人事制度の設計 (等級、評価、報酬)
・目標管理制度の導入(OKRの前身になるもの)

オンボーディングもキーマンアプローチも周囲の協力もあって順調にやれたので、想像以上に短期間で多くのことが実現でき、成長角度を上げる発射台が作れたのかなと思っています。

ちなみに、当時のゲームエイトの状況をコンパクトにまとめると

・プロダクトの成長は顕著であるものの、組織マターで成長が阻害される可能性がある
・伸びる時期に一気に伸ばしてシェアを取りきらないと、後からの挽回は難しい性質の事業である
・ジュニアメンバーが多かったが、素直で成長意欲も高く、新しい施策に対する抵抗は少なかった


という感じ。

事業/組織両軸で様々な施策を動かしましたが、上記の状況もあり特に組織戦略は重要だと考えていました。
当時のお話の詳細はHitolinkさんに記事にしていただいたので興味がある方はご覧ください。
(https://www.hito-link.jp/media/interview/game8)

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(当時の資料の一部)

圧倒的スピードでの改革。そして痛み。

入社1年半後くらいでしょうか。
従業員アンケートの中で、「沢村さんあんまり好きじゃない」というメンバーの声がちらほら上がってきました。
当時「工場にスーツできた人」と揶揄されたりもしていました。
創業当時から個々のライターの方の属人的なクリエイティビティやディレクションでメディアが成り立っている部分がありましたが、そこに「再現性」「生産性」「拡張性」の3つのテーマを持ち込んだときにどうしても部分的にはオペレーショナブルになる側面があり、そこに対する反発だったのではと思っています。

また、当時はどうやってゲーム好きなメンバーと距離を縮めたら良いだろうか思い悩み、流行っているゲームを週末にやりこんでは、その話題を持って積極的に話しかけるも煙たがられてしまう。メンバーとの関係値を早く構築しなければという焦りからも空回っていたんだと思います。
西尾さんからも、率直なフィードバックをもらい反省の日々。
(当社のバリューのひとつにBased on flatというものがあるのですが、不要な忖度なしに率直にフィードバックしあえる文化があるのがゲームエイトです)

ちなみに、この一連の出来事。めちゃくちゃ落ち込みました。だって人間だもの。笑
その後、居酒屋で泣きながら話を聞いてもらったのは、今ではいい思い出です。

経営のバトン

西尾さんとはずっと「一緒に経営をやってきた」感覚で、ボスでもあり戦友。タイプは全く違っていて、同じクラスにいたら絶対仲良くなっていないですね。笑サシ飲みは4年間でたった2回(入社直後と体制変更の話をしたとき)でも、社内の誰よりも一番よく話します。

前から似ていたのか、似てきたのかはわかりませんが重要な意思決定の勘所は一致。これまですさまじい量の議論をしましたが、特段揉めた記憶もありません。
そういう意味では、今回の体制変更も比較的スムーズに進んだように思います。日本企業はサクセッションプランが上手ではないと言われることもありますが、創業者から親族以外の人間への2代目譲渡はなかなかハード。(バトンを送る側も受け取る側も)

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思い返せば最初から、西尾さんは任せることを徹底していました。
彼の口癖は、
「沢村さんに経験値を集めるのが会社として一番効率がいいです」

従業員アンケートでの辛辣なコメントもそうですが、それ以外にも多くの失敗がありました。
その時は決まって、こう言われました。
「また経験値たまりましたね」

COOの立場でありながらも、時にCEOのように振る舞い、実際に多くの意思決定を任されてきました。なので、この体制変更が社内メンバーからは違和感なく受け入れてもらえるのではないかなと思っています。
そして、このスムーズさのベースになった西尾さんの徹底した権限移譲の姿勢に改めて敬意を表したいと思います。

決意表明

現在ゲームエイトは日本で月間4000万人以上、世界でも北米を中心に月間1000万人以上のユーザーを抱えるグローバルなメディアに成長しました。
東証プライム市場に上場しているGunosyグループの中核会社として、資本市場に果たす役割の大きさ、果たすべき責任も年々大きくなっていることを実感しています。一方でゲーム業界は「Web3」「クラウドゲーム」「eスポーツ」等の様々なトレンドが入り乱れていて、変化が早くチャンスの多い場所でもあります。

今後も責任あるメディアとしての役割を果たし続ける一方、ゲームの作り手側の方達のご支援を更にしていきたいと考えるようになりました。
ゲームをもっと楽しめる世界をつくるためには、ユーザー接点の多いゲームエイトが作り手の方達にご提供できるものはまだまだあると考えています。
いくつか近日中にご報告できるものもあるのでご期待ください。

経営体制は変わりますが、引き続き変わらぬご支援をお願いします。

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PS:
しばらくご無沙汰している方、一度お会いした方も、まだお会いしたことない方とも積極的にお会いしたいと思っておりまして、気軽にDMいただけると嬉しいです!

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https://twitter.com/sawashun8


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