油をひかない。

ソーセージを炒めた。

油をひかずに炒めた。昔からそうしている。おなじような手法でメンバーに振る舞っていた。ソーセージに切り込みは入れずに、焦げてはち切れるように焼く。

一度、「ガキの使いやあらへんで」でココリコの田中さんが同じような手法でメンバーに披露していた。浜ちゃんは「そんなちゃうか?」みたいな反応をしていたけど、ぼくは田中さんの説明をウンウンと聞いていた。

「あんな、ソーセージは油ひかんほうが美味いで」

一緒に暮らしていた祖父は、ある日、ぼくにそう言った。アルトバイエルンやシャウエッセン、レモンとバジルの白いやつ。ソーセージは油をひかずに焼くことで皮がパリパリになる。その発見を、彼は嬉しそうにぼくに語ってくれた。

それからというもの、祖父は毎朝ソーセージを焼いた。油をひかずに焼いた。フライパンが少し焦げつくので、ソーセージを食べる前に先に洗い物をしていた。

日を重ねるごとに、焼く時間を研究したり、フライパンのゆすりかたを研究していた。餃子を焼く時に、チリチリという音を聞き分けるように。天ぷらを揚げる前に、天ぷら粉を先に投下するように。ソーセージの焼き方を研究して、「うまいうまい」と食べていた。


そこから数年が経ち、祖父はキッチンに立てなくなった。

部屋のベッドから動けず、配食で栄養を取ることが増えた。少しでも好きなものを食べてほしくて、ぼくは祖父の代わりにソーセージを焼いた。

しかしこれが難しい。祖父の満足する焼き目にならない。ちょっとでも気を抜くと、理想のカリカリな皮にならない。肉汁が溢れすぎて、プリプリの噛みごたえにならない。洗い物をするのも後回しにしてしまい、フライパンは焦げは取れなくなった。それでも、ぼくは最後の最後までソーセージを焼いていた。


先日、ふと思い立ってソーセージを買った。

コンビニで作られたものや、近所で外食ばかりしていたから、ずいぶん久しぶりにソーセージを焼いた。油をひかずに、適度にフライパンをゆすって焼く。

その瞬間に、祖父と暮らしていた時間が、ふと頭をよぎった。走馬灯ってこういう感じなのかな?と思うぐらい、突然、いろんな記憶が蘇ってきた。ふたりで遊んでたことや、介護をしていたことや、最後の日も喧嘩をしていたこと。とにかく、とめどなく色んな記憶がやってきた。


「どこにスイッチ隠されてるんや」と自分で驚いたが、ソーセージを焼きながら、ちょっとだけ泣いた。いい年した男が、ひとりキッチンで泣きながらソーセージを焼くのはかなりやばい。

でも、あの頃ぼくは。祖父の食事を用意する時間に、いろんなことを考えてたんだと思う。


「もっと、良いものを食べさせてあげればよかったな…。ステーキとかすき焼きとか作ったれよ…。なにしてんねん…」

そんな後悔を感じながら、焼き終えたソーセージを食べた。


皮が適度にはちきれて、中から溢れ出す肉汁。
油をひかずに焼いたソーセージは、祖父とココリコ田中さんが言う通り、やっぱりめちゃくちゃ美味しかった。

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