ここに立って

梅雨の空が恨めしい。昨日は映画の主人公の如く幻想的な狐雨の中、自転車を走らせサウナへ向かった。しかしそんな雨は例外で、たいていは、羅生門のオープニングのような無機質で冷酷な雨である。

僕は2018年8月7日に日本を発ち、シカゴ・オヘア空港へと向かった。いきなりシカゴのホテルで12時間ほど待たされ、その後バスで5時間かけてセントルイスの教会へ。留学の始まりに心を踊らせながらも、全身がゾクゾクした。気持ち悪かった。その後紆余曲折あったが、2019年6月26日に無事帰国した。留学して何が一番よかった?と聞かれるが、「留学効果」はむしろ帰国したその直後から始まった。

帰国した夏は全てが輝いて見えた。NPのTHINK FLAT CAMPから始まり、HLAB、多数のセミナー、ひたすら社会人や大学生にお話を聞きに行くなど、人生ががらりと変わった。なんでもできる気がした。秋にはBE Frontierの設立に立ち合い、イベントを行ったりした。自分はホンモノだと思った。特別でいられる場所を見つけたと思った。これらの体験はまさに非日常であり、それがそうあり続けてほしいと思った。

時間が経てばそれらはいつの間にか日常となっていた。別に何かすごいことをしたわけじゃないのに、周りからは高校生だからと言って褒められる。満更でもなく、自分は少しいい気になって、低い鼻を高くする。自分がホンモノであると過信し、達観したような話し方をする。

思えばいまここに立つ。海外大受験を目指して準備をするも、先の見えない状況と残酷に突きつけられる自分の高校の成績表を前に頓挫する。力を入れていた課外活動や友達との事業も投げ出しかけ、無意味に意味を問い直す。ただ楽しいからやるだけでいいのか?こんな問は無駄である。

奨学金応募で自分の将来についての質問を前に手が止まる。幸せに生きればそれでいい。お金が全てじゃない。ずっとそう思っていた。しかしこんな寝ぼけたことを言っていられるのも、恵まれた環境が当たり前にあるからではないか。濃い霧に覆われた将来。その霧は自分への期待なのか、現実からの逃避なのか。

3日先、いや、3時間先の将来もまともに計画することができないのに、何を書けというのか。どうなりたいか、なぜそのために大学に行くのか、全く見えない。自分が天才理系キッズだったら良かったのに。盲目に突っ走れる目標があったらいいのに。

自分の意識の高さや能力なんて即席だ。偽物のホンモノなことはよくわかっている。それでもなんでもできる気がしてしまう。自分の野望はときに残酷だ。

別に悲観的になるためにこれを書いているわけじゃない。等身大でいたい。多少背伸びするのはいいかもしれないけど、自分がホンモノであると自分自身を洗脳したくない。いつか絶対ホンモノになる。




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