パンツ

小学校から高校を卒業するまでずっとボクサーパンツを履いてたけど、今はトランクスしか履きたくない。本音を言えばボクサーパンツを履くくらいならパンツを履かない方がよっぽどマシだ。(何言ってんだこいつ)
浪人してた時に父さんの家に泊まった日俺は替えのパンツを持っていき忘れたから仕方なく父さんのパンツを借りた。父さんのパンツはトランクス。それを履いた瞬間、なんだこれは。解放感。履いているのに履いてない。とにかく最高だ。それからはもうトランクス一筋だ。
大学1年の時に約1ヶ月友達と2人で暮らしていた時期がある。その友達は俺が履いているトランクスを毎日のようにダサいとバカにしてきた。俺はダサくねえよ。と反論していたが内心はボクサーに比べれば確かにイケてないのでは。と思っていた。でも当時俺はどうしても素直に認めることできず、ネットで「俳優 パンツ トランクス」と検索し、俳優のザック・エフロンがトランクスを履いている写真を探し出し、その写真を見せながら「トランクスはダサくない」と必死に反論した記憶がある。
2人の生活は終わりを向かえ、そいつが家を出る時、カルバンクラインのボクサーパンツくれた。そこでいらないと言えばよかったのだが、特に拒否することなくそれを素直に5、6枚受け取った。正直に白状するのだが、俺はトランクス一筋と言いいながら、女の子と2人で遊びに行く日だけはそいつにもらったカルバンクラインを履いた。もしかしたら何かあるかもしれないとワンチャンスを期待している日だ。もしもいい感じになって、そういう雰囲気になった時に、トランクスを見て、ダサいって思われるんじゃないかって考えて、俺は我慢してそういう日だけ、カルバンクラインを履いた。毎日これを履いてんだぜみたいな顔して履いた。最近はそんな機会すらないから履いていない。が今もクローゼットの奥に眠っている。でも冷静になって考えてみると、俺はカルバンクラインを履くことによってその日その瞬間の自分の魅力が失われてしまっていたのではないか、と思案している。いや絶対にそうだ。なぜなら我慢してまで履くことによって俺の神経がそこに少なからず集中してしまい、そのせいで目の前にいる女の子に対する気持ちが疎かになり、ということはそれは到底普段通りの自分というわけにはいかず、余裕がなくその分つまらない男になっていたと、こういうわけだ。いやもうそうとしか思えない。確実にそうだ。そしてそんな気持ちで履かれるカルバンクラインの気持ちも一旦考えてみてほしい。そんな奴に履かれたいとは思わないだろう。俺は勝負の日にトランクスをクソみたいな見栄とプライドによって封印していた。でもそういう勝負の日こそ、普段通りのありのままの自分でいさせてくれる快適なお前が必要だったと今頃になって気づいちまった。
さよなら、カルバンクライン。

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