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『Language』

大学受験が近い。

二時間ほど数学の問題を解かせれば、しばらく脳は機能しなくなる。
糖分を使い切って、喧騒の中をふらつきながら歩く。

西武新宿線のレールに沿って、何も考えず駅へ向かった。

道で立ち止まってはスマホを眺める大人たち。
スーツに包まれ、多くはしっかりイヤーフォンを付けている。

男たちは揃って余裕そうな表情をつくり、女たちは妙に騒がしい。
大学生は、決まって道で群がる。

21時を過ぎた高田馬場は、今日も空港のロビーのようだ。
みんなここで、搭乗アナウンスを待ってる。


家に着いて、思わずそのままソファにダイブした。
我に返って手を洗い、「エクリチュール」と「パロール」の間を通って定位置についた。

帰りに買ったジンジャーエールが、喉を伝って胃酸を叩き起こす。
身体の中から生き返るこの感じがたまらない。

そういえばスマホの充電が切れていた。学校の授業中に唯とラインをしていたせいだ。
よし、お前も生き返らせてやろう。

スマホがないと何もすることがない。
意識の向ける場所に困って、風呂の前に本棚を確認しておくことにした。

部屋の両脇に、存在感甚だしいご立派な本棚がある。
それぞれにはしっかり名前が付いていて、向かって左側を「エクリチュール」、右を「パロール」という。

エクリチュールには「寝坊した!」「ごめん今日塾」「なんか最近いいことない」「塾後のじんじゃえーーーる!!!」など、詰まるところ俺のツイートが並んでいる。
すべての本が同じサイズに同じ厚み。ツイートをすると、勝手に書いた内容がタイトルになって本ができる。
ツイートをするたび、天井まである棚に、上からきっちり揃って本が並んでいくのだ。

もちろん背表紙にも同じことが書かれるから、棚を眺めるだけでどんなツイートをしたか一目で分かる。

右側のパロールには、日常会話とかLINE、電話で発した「話し言葉」が記録される。
『だから数学は最後まで解けないんだって』『昼休みにサッカーってw 俺らもう受験生だぞ』といった調子だ。
こっちはだいぶ冊数も埋まっていて、上の方には『あーーマジで好き』『いやぁー、来週はキビいけど、までも行っちゃうか映画ぁ』とか並んでいる。

おそらく唯と話している時だ。自分の発した言葉を文字にして読むと吐き気が込み上げて我慢ならない。

ジンジャーエールを片手にピルエットをしていたら、大人しかったスマホが「ブゥオン」という音と共に目を覚ました。
溜まっている通知の数がすごい。

Instagramのストーリーで、部屋の一室から撮った窓の写真が出てきた。ホテルだろうか。
意識せずとも、女の子らしいシルエットに気が付いた。
森下は本当の馬鹿だ。勝手にしてくれて構わない。

杉山は「陰性だったぁ..」とだけ書いている。
そういえばこの前早退をしたと噂で聞いた。よかった、よかった。

広告を飛ばすのと同じくらいのスピードで、いくつかのJK充実アピールストーリーズをスワイプし続け、そして案の定、山岡のストーリーでその指は止まった。

『YouTube更新しました!』

...またか。
そう思った時にはリンクを開いていた。

「どうもこんにちは!山岡高樹です。今日は、なんととある方とのコラボ動画になります!」

華奢な女性が細い腕を伸ばしたまま、画面の右から膝立ちで中央に移動してきた。
顔を見て驚いた。山岡はAmamiと面識があるのか。

動画は7分ほどで、他の動画と比べて短めではあったが、普通に話していることに妙な距離を感じる。

コメント欄を開くのは気が引けたから、そのままページを閉じた。
InstagramでAmamiのストーリーを見たが、そこに山岡は載っていなかった。

30万人もフォロワーがいるのだから、それもそのはずだ。

まだ山岡がストーリーを上げてから時間が経っていないからタイミングの問題か。
まぁ、どうでもいいや。

手が揺れて、持っていたジンジャーエールの水滴が、嫌がらせのように手の甲に吸い付いた。
変にベタつくこの感じが大嫌いだ。死にたくなる。

タブレットで提出の課題があったことを思い出して確認をしたら、49分前に期限が過ぎていた。

溜め息が1つ。
出た、というより、した。


塾あって提出できるわけねぇだろ。まぁ内申点関係ないしいいけど。
23:08 @ren6180 on Twitter


パタパタパタ。
本棚が少々騒がしくなる。
スーーーと木目を滑るような音が続いて、部屋はまた静まり返った。

変に目が冴えている自分が馬鹿らしい。

あ、ほら。
また一冊、本が増えた。

今日はなんだか嫌なことが多かったように感じる。
早く風呂に入って寝過ごしてしまおう。


「大学に入っても結局勉強ばっかりで中高時代と何も変わらん」と嘆いている学生を見るとがっかりする。
本気で環境が変えてくれるとでも信じているのか。自分で変える努力をしなきゃだめだ。
環境で全部をパッと変えてくれちゃえる場所なんて、ディズニーランドとラブホテルくらいだよ。
00:01 @ituwa_kohei on Twitter


リツイート。

....パタパタパタ...スーーー


なんか最近10代の若い子が有名人になったりしてるけど、自撮りをするならぜひ旅先でやってほしい。
ヨーロッパでも、もちろん国内だって構わない。
感性が潤っている間にいろんなものを目にして、いろんなことを感じることが大切。
17:50 @ituwa_kohei on Twitter


リツイート。

....パタパタパタ...スーーー

五輪さんは、どうして息を吐くようにこんなにもいいことが言えるのだろう。

ほんとにその通りだ。

複雑怪奇な造形の心に、気泡を作らずにぴったり冷たいシートが貼られるような感覚が気持ちいい。

ろくでもないランクの大学に入って、特段授業も真面目に受けずに異性のことばかりに気をかけて。
大学生の多くは残念な人たちだ。

大学に入ると、みんな一時的にそうなってしまうものなのだろうか。
勉強から逃げて、楽して、遊んで。
それで就職してから「初任給〇〇万円とかマジでありえんw」なんてツイートするんだからたまったもんじゃない。

インフルエンサーだって似たようなのばっかりだ。
ただでさえ「かわいい」「かっこいい」なんて同じ言葉の上で戦っているのに「かわいくなれる」「かっこよくなれる」フィルターをかけ始めたら、いよいよ誰が誰だか分からない。
もちろんだからと言ってモデルや芸能人が1人でいいというわけではないけれど、どうもみんな揃って頭が悪そうなのが気に入らない。
TikTokをしてみたり、YouTubeを始めてみたり。
結局その人自身に何もないから、企画は全部「質問コーナー」になってしまう。

ふと振り返ると、本がまた増えていた。
リツイートでも、それは自分の言葉になってしまうのだった。

まぁいい。
どうせ本棚のリセット日が来るのだから。


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模試まったくできなかった。ヤバい。
16:23 @ren6180 on Instagram


英語が解き終わらない。
単語はだいぶ覚えているはずなのに、前から何も変わらない。

家に戻ってからも、疲れているせいかどうも勉強に身が入らない。

数ヶ月後、俺は本番で結果を出せるのだろうか。
これまで何年も変わらなかったのに。

このままで、合っているのか。

このシャープペンも消しゴムも、ノートもバッグも何も変わらない。
時間だけが、刻々と過ぎていく。

集中しなきゃ。

もう一回見つめてみる。


0 × cos60 =


ゼロなはずがないだろ..

..分からない。そもそもこんな問題が出るはずない。
ってかこんなの意味ない。

こんな大学受験の対策のための問題を解いて、それ以上に何があるだろうか。

嬉しい。それだけ。

そう考えると心底気持ちが悪い。
「これで合格に一歩近づいたぞ」なんて思って安心したいだけなんだ。

自分を勇気づけるために安心材料を探して、それができないと悲観的になる。
そう、今の俺だ。

結局、何も変わっていなかったのだ。
ゼロに、いろんなものをかけ続けてきた人生だったのだ。


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一週間ほど前から、佐野が可哀想なことになっている。
そう、絵に描いたようないじめを受けている。

でも仕方がなかったとも言える。

全国模試が学校で実施されたその日、出席番号順に座ると由美は佐野の席だった。
そして、試験が始まってから二科目目の数学。三十分ほど過ぎたあたりで由美の答案用紙が電子音で小刻みに揺れた。
すぐに外部の試験官が机の中からスマホを発見し、由美はその後も問題を解いていたが、おそらくカンニングと見なされて点数はカウントされないそうだ。

学校側ももう少しやり方があったと思うが、由美と佐野は昼休みに呼び出され、由美はすぐに戻ってきたが、佐野は厳重注意を受けた。
由美と一番仲がいい唯は本人以上にキレていたが、それからというもの、何かあれば佐野が引き合いに出されるような社会ができた。

受験が近いせいで、みんなストレスを抱えている。
いじめは分かりやすくエスカレートし、Twitterでは佐野のアカウントを乗っ取る奴が出てきた。佐野が学校のiPadからログインしていたから、机を離れた隙に情報を盗むのは容易だったのだろう。

きっと、人には「誰かを傷つけていい時間」がどっかしらで現れる。

俺も正直「いじめは良くない」なんて今更言っていられるほどの余裕は兼ね備えていない。

大学に受かることが何よりも大切で、そのためなら少しくらい、利用したっていいだろう。

本棚には、ますます目も当てられないような言葉が並んでいくが、正直ほんとにどうでもいい。

一週間ごとにトラックが来て、棚にある本はすベて回収される。
それらは別の人の家に届き、また回収されてを繰り返す。

もしこれが、学校のクラスで起こっているなら話は別だが、世界中で本が回るのだ。

本棚に本が収まらなければ、ペナルティを与えられるからそれは避けたい。
棚の空きと相談しながら、三分の二をストレス発散に使って、残りを唯との時間に充てよう。


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「唯?」

「なに?」

「悪かった」

「ああ。いいよ、なんか最近蓮変だし」

「え?」

「なんか、全部冷たい」

「どういうこと?」

「んー、いや。なんでもない。」

「よくないだろ」

「ごめん。...私たち、別れようよ」


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山岡がバズった。

たまたまLINEニュースを開いたら

「Amamiと交際が噂される男は元ミュージカルの有名子役か」

と出ていた。

反射的に記事を開いた。
その記事に写真はなく、本文も数行で終わっていた。

仕方がないので、タイトルでそのまま検索をかけた。
ヒットした記事をいくつか見ていくと、どうやら妙にリアリティを帯びている。

Twitterを開いた。

トレンドには入っていなかったが、「Am」と入れたと同時に「彼氏」と出てきた。

そうか、「彼氏」なのか。

頭で「KARESHI」というダイクシスが、音になっていろんな場所で響いた。

気分が悪くなって、アプリのホームに戻った。


Amamiさんのことは知ってたけど、昔からミュージカルやって今も役者とモデル続けてる同い年の彼氏がいたと。
自分で道を切り開いていくタイプだな。良き良き。俺はそういう奴、好きだぜ!!
16:23 @ituwa_kohei on Twitter


........

...え。

......ふざけんな。ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな...

なんで...あいつは間違ってる。

それらしく振る舞ってるだけだ。昔からそういうやつだ。

Amamiも五輪さんも間違ってる。何も分かってない。


何も考えず将来と向き合わずにふらふら逃げてきただけだろ。ろくに努力もせず、ずっと逃げてるだけ。
16:23 @ren6180 Retweet


....パタパタパタ...スーーー


バカと煙が高いところに昇ってるだけだろw もう18だってのに何してんだw
16:23 @ren6180 on Twitter


....パタパタパタ...スーーー


大学生くらい?の年齢でモデルとか、もっとまともな仕事探す努力したほうがいいでしょ普通に。
16:23 @kaaaatta999022 on Twitter


いや、ほんとそれな。笑える。

リツイート。

....パタパタパタ...スーーー


ほんとばかだよな。
16:25 @ren6180 on Twitter


....パタパタパタ...スーーー


........

回収まであと二日。
明日になれば、全部リセットだ。

落ち着くんだ。
自分の身体から抜け出して、言い聞かせるように布団を被せた。

いつかピルエットをしたせいか、膝がキリキリと痛む。

枕に左耳を押し付けると、本が一冊、床に落ちているのが目に入った。
次に目が覚めたら、なんとかして本棚に戻そう。


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まずい。やはり寝不足だ。
頭が回らない。

全部山岡のせいだ。

cos60の隣にある「0」と目を合わせる。

負けるわけにはいかない。

........

...だめだ。


同じような問題を何度も解いてきたのに、どうしてこんなにも出来が悪いのか。

カラオケで参考書を広げて、メロンソーダの中で泳いで何も進まないあの感じによく似ている。
俺だけなのか。みんな、そうじゃないのか。

無性に悲しくなってスマホを手に取ったが、ついに誰もストーリーを上げていなかった。

寂しい。
初めから一人でいるつもりだったけれど、もっと小さな、自分の最小単位を見つけた気分だった。

自然と出たため息で腕が緩んだ時、指先で着信が鳴った。

唯だ。

「もしもし」

「あ、蓮今大丈夫?」

「うん」

「英語のステップ12の答え、持ってたりしないかな」

「あー、あるけど。送ればいいの?」

「え、ほんとに!ありがと!あ、あとコウちゃんすごいね笑」

「あー。Amamiとの話ね」

「そうそう。身近にこういうことなかったからなんかすごい不思議な感じ」

........

「なんかほんとにすごい。たくさん悩んでたりするんだろうけど、でもちゃんと有名になってるし。インスタもツイッターもフォロワーすごい増えててびっくり」

「あーね」

あーーあ。
こいつも、そういう感じか。

「なんか興味なさそうじゃん」

「いや。なんか、どうでもいいわ」

「へー。でも幼馴染なんでしょ?」

「関係ないっしょ。あと、答えやっぱだるいから他の人に借りて」

「えなんで?」

うざい。何度も何度もしつこい。

ジンジャーエールみたいだな。

昨日から机に置いたままのペットボトルを見てそう思った。

「唯はさ、なんでそんなに必死なの?やりたいことと英語って関係ないでしょ」

問題の答えなんか、誰でも持ってる。
もっと、別の答えが知りたい。

こんなの間違ってる。

そうだ、いい機会だ。

「いや関係はないけど、でも勉強しないと」

「勉強しないとって笑 ほんとはやりたいことないだけだろ」

「...ごめん今日なんか気分悪いから電話切るね」

「お前、ほんとばかだよな」

........

電話は切れた。

....パタッ..カンッ...スーーー

エクリチュールから弾かれて、昨日から床に寝転がっていた一冊の本が、気怠そうに起き上がってパロールに収まった。

もう、なんでもよかった。


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「...何言ってんだよ」

「前からちょっと思ってたの。何があったとか知らないけど、なんか蓮っぽくないっていうか」

「ストレスが多くてそうなってるのかも。受験が」

「受験がなんなの?」

「その...」

「怖いんでしょ」

「...そう」

「受験が怖いのは私も一緒だよ」

...え。

「勝手に合格基準と試験の日だけ決まっててさ。そんなの分かんないよ。蓮に言われて、ほんとは私もわかってた。やりたいことなんてないけど、でも大学には行かなきゃいけないって言い聞かせてきた。でも今諦める方がずっと悔しくなるから、だからもう頑張ろうって」

「...そうなのか」

「そうだよ。口にしたり投稿しないだけで、みんな怖いって思ってるよ?」

みんな怖いと思ってる。確かにそうかもしれない。

俺は、片目で世界を見ていたのかもしれない。
誰かに隠されていたのか、見たくなかったから自分の手で覆っていたのか。

「蓮だけじゃない。私もコウちゃんも学校のみんなも。ずっと辛いんだよ」

手で覆ってきた左目が、息を吹き返したようにじんわり熱くなる。

膝にキリッと痛みが走った。
そうか。俺は、こんなにも冷め切っていたんだ。

「...唯」

「ん?」

「俺、間違ってた」

「間違ってないよ。だから頑張ろう、最後まで」

ありがとう。

本当に。

「...聞いてる?」

「唯」

「ん?」

「この前はごめん。俺は最低だった。だから.........だから」

........

「うん?蓮?」

やらかした。

バカだ。

俺はほんとのバカだ。

本棚は誰かに向けた悪口や陰口、卑下する言葉や罵倒する発言で埋め尽くされていて、どこにも隙間が見つからない。

今を思いを伝えたら、本が棚から溢れてしまう。
そしたら、ペナルティだ。

「ごめん、電波悪いかも。1回切るね!」

........切れた。

電話も、唯との関係も。


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トラックはいつもより遅れて来た。

そして、本棚はリセットされた。

すっかり片付いた部屋を見て、これからは温かい言葉だけを並べようと思った。

そして、なんとなくこの2つの本棚の使い方が、分かったような気がした。

今、唯に電話をしよう。
今、思いを伝えよう。

難しい言葉はいらない。
気持ちが溢れた時に、伝えたいことが言えるように。

「好きだ」

そんなタイトルの本が一冊あればいい。

唯にだけじゃない。
温度のある言葉で埋め尽くそう。

そう、ネガティブが収まらないほどに。



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