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USアクセラレーターに入り、シリコンバレーで志立てる話

はじめまして、柿木駿(@shunkakinoki)と申します。

昨年慶應義塾大学法学部を休学し、シリコンバレーで起業しました。今秋卒業予定です。

「世界に衝撃を与えるプロダクトを創る!」と夢描いて、3年が経過します。威勢だけは良く、格好をつけるだけで行動が伴わない自分に嫌気が差すこともありましたが、米国で挑戦する先輩起業家のアドバイスのお陰で、一歩踏み出すことができました。今でこそ、コードを書いてプロダクト開発に励むことが出来ているものの、当時は文系大学生で何のスキルもありませんでした。

そんな僕でも3年続ければ、PioneerというUSアクセラレータに採択され、米国の起業家としてスタートラインに立つことができました。まだまだ始まったばかりですが、どういう背景で一歩を踏み出すことができたのかを簡単に記しておきたいと思います。

今後、多くの試練に遭遇しても、立ち止まって、冷静に考え、この壁を乗り越えられるように、初心を書き残しておきたいと思います。また、新しい挑戦に躊躇している方々にとって、一歩踏み出すきっかけとなればと思います。少し長いですが、お付き合いください。

シリコンバレーの帰国子女として感じたこと

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当時通っていた現地校。隣の建物がアップルの旧本社。

最初に、僕のバックグラウンドに触れたいと思います。父親が米国に駐在していたため、4~10歳まで6年間シリコンバレーのクパチーノ市で育ちました。クパチーノ市はAppleの本拠地です。自分が通っていたMiddle Schoolの隣にAppleの旧本社がありました。従って、無意識の内にスタートアップの環境下で幼少期を過ごしました。

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サッカー時代、当時の親友(左)と自分(右)

当時からコードを書いていれば、また違う人生になっていたかもしれませんが、プログラミングに触れる機会も余りなく、サッカーなどのスポーツに取り組みながら、広々とした緑に恵まれた環境のもとで伸び伸びと育ちました。

父が発売日当日に初代iPhoneを買ってきてくれたり、Twitterが体育の授業の持ち物アナウンスに使われていたり、YoutubeもGoogleに買収される前から良く視聴していましたので、世界の最先端のプロダクトに触れる機会が日常の出来事でした。

ただこれだけは言えるのは、当時子供の自分でも、iPhone、YoutubeやTwitterも最初はおもちゃ程度のものにしか思えなかったことです。「何か面白くてすごそうなもの!」という認識はありましたが、その程度のものだと思っていました。それらが10年の月日を経て、世界になくてはならない社会インフラとなるとは夢にも思っていませんでした。

帰国後、日本での10年間

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アメフト部時代、僕(左)大好きな先輩(右)とのツーショット

シリコンバレーで育った自分ですが、10歳の時に帰国しました。そこからの日本での10年間はあっという間のようで、失敗と挫折の連続でした。

帰国子女として、日本にすぐに馴染ず、学校に中々溶け込めず苦い思いをしました。また、プロサッカー選手を目指してブラジル留学するも挫折しました。加えて、大学では体育会アメフト部に入るも1年で退部しました。本当に何も成し遂げることができず、完全に自暴自棄に陥りました。振り返れば、中途半端なことを繰り返していた自分に嫌気がさしました。一方、自分とたくさん向き合い、自分に問いかけ、自分を見つめ直す事が出来ました。

ある日、スマホで「Apple社が時価総額100兆円を超え」の記事を目にしました。以前、自分か通っていた学校の隣がApple旧本社であったこともあり、今は亡きジョブズのAppleが、成し遂げた偉業が、自分ごとのように誇りに思いました。

時間の有限さと儚さ

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今も持ち歩いている初代iPhone


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スティーブ・ジョブズが亡くなった時の雑誌

今思えば、シリコンバレーから日本に帰国した2010年、今ほどiPhone含めスマホはそれほど普及していませんでした。しかし、その後気がつけば中高生からスマホを持つことが当たり前になっていき、iPhoneの普及を発火点に人々の生活・産業が目まぐるしい進化を遂げていきました。もはやiPhoneは1会社が開発した1プロダクトの域を超え、次世代の社会インフラとしての地位を確立しました。さらに、その開発、成長ストーリーは世界中の人々に共感され、その理念が心に刻まれるようになりました。

当時、自分が20歳を迎える時期でありましたので、これ程までに偉大なことを成し遂げているAppleを尊敬すると同時に、少し嫉妬のような感情を抱きました。
「僕の10年とあまりにもちがう、、、」
そう思うと同時に、このままあっという間に人生を終えるのではないかという恐怖心に襲われました。

ジョブズの有名なスタンフォード大の卒業スピーチを何百回も繰り返し観るうちに思いました。
次の10年は世界中で利用される革新的・衝撃的なプロダクトを創りたい!

シリコンバレーを目指して

そうは言っても、現実に目を向けると、金なし・スキルなし・プロダクトなしの当時大学2年生。当時は自信を失うことも多く、何から始めればいいか悩む毎日でした。正直、完全にビビっていました。

とはいえ、とりあえずアクションに起こさないと何も始まりません。世界の上場企業やユニコーン企業をリストアップし、それぞれの創業者のバックグラウンドを調べました。そうするとエンジニア出身の創業者が割合としては6~7割以上を占め、場所はシリコンバレー発が圧倒的に多い事が分かりました。

幸い英語ができたので、プログラミングのスキルさえ身につければ何とかなるのではないかと思いました。そこから家に篭り、ひたすらコードを書き続けるようになりました。当時着想したモバイルアプリを1ヶ月で完成させました。そこからGithubなどオープンソースにのめり込んでいきました。

USアクセラレーターに採択

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Remotehour山田さんのブログ

そうこうしているうちに1年が経過し、インターンなどで少しづつ実務を積み重ねていたところ、とある一つのブログに遭遇しました。なんとトーナメント形式の年中開催されているシリコンバレーのアクセラレーターがあるとのことで、Remotehour 山田さんは世界ランキング1位を獲り、無事にそこに採択されました。それはコロナ禍であったことも加味して、リモートからでもシリコンバレーに挑戦できる世界が到来していることを意味していました。

アクセラレーターとは、いわばスタートアップの登竜門的な位置付けで、Airbnb, Coinbaseや Stripeなどを輩出しているY Combinatorなどがその代表格です。ブログで言及されていたY Combinator元パートナーのダニエルが創業したPioneerというUSアクセラレーターに採択されれば、シリコンバレーのネットワークに入り込む可能性があると思い、参加を決意しました。

世界100ヵ国以上から起業家が集うトーナメントでは、自分の明確な位置とスコアが表示されます。最初は圏外からのスタートでした。2020年5月からトーナメントに参加し、1人で自宅に篭ってプロダクトを作り始めました。その後、地道にプロダクトの改良を重ね、8月には世界トップ5位に入ることができ、無事Pioneerに採択されました。

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世界ランキング5位の瞬間

Clubhouseをきっかけに渡米

Pioneerのプログラムも終わり、気づけば2021年となりました。後述しますが、当時は2つのプロダクト開発に失敗し、次のプロダクト開発を模索していました。今思えばまさに精神的にどん底で、苦しかったのを鮮明に覚えています。そういう中、当時流行っていたClubhouseで、Autify 近澤さんが主催のシリコンバレーの日本人起業家のセッションに参加しました。

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当時流行ってたClubhouseのセッションに参加して質問

当時はClubhouseの一番盛り上がっている時で、米国で挑戦されている起業家の方々によるセッションを通じて多くの助言をいただきました。その時の先輩方のアドバイスがあり、渡米することにしました。幸い先述したアクセラレーターに日本人として初めて採択されたRemotehour 山田さんが同時期にサンフランシスコに滞在していたこともあり、先輩起業家と共同生活を始めました。

いざこうして米国で生活を始めると、同じ志を持つ先輩との日々はとても刺激的であり、大変楽しかったです。また、毎日ひたむきにユーザーと向き合い、事業を創り出していく先輩方の姿が、側で見ていてとても格好良く思いました。自分も生涯を通じて、そうありたいと心に誓いました。

2つのプロダクトの失敗と反省

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1つ目のプロダクトのLP

昨年、2つのプロダクト開発を失敗しました。どういう経緯で各プロダクトを開発し、失敗に至ったか、などの学びを整理します。

1つ目のプロダクトは、簡単に言えば作業に特化したZoom。コロナ禍で、リモートで友人と一緒に作業をしていた時に気づいたのが、Zoomなどは、会議や通話を前提として設計されており、共同作業を行うには非常に使い勝手が悪いことです。そこでリモートでの共同作業に最適化したビデオプラットフォームの需要があると思い、6ヶ月かけてプロダクトを開発しました。しかし、上手く差別化を図れず、リリース後、3週間でプロダクトをクローズする事にしました。2つ目のプロダクトは、SubstackのSaaS版。Substackとは、当時アメリカで流行り始めていたメルマガのプラットフォームですが、利用料のマージンが20%と少し割高であることがSNS上などで取り沙汰されていました。また、UIが非常に古臭いと感じていました。良いUIで利用料が定額のものなら自分でも開発出来ると思い、1ヶ月でプロダクトを創り上げました。しかし、ローンチ直前に今後10年かけてメルマガのプロダクトに情熱を注げるのか疑問を感じ、ピボットすることを決意しました。

2つのプロダクト開発を通して、多くの学びを得ました。一番は「自分自身がペインを感じ、情熱を捧げられるようなプロダクトを作る」ということ。失敗した2つのプロダクトに対して、パッションを感じないまま、開発したソリューションありきのプロダクトでした。その場合、問題の解像度が低くなりがちで、市場から真に求められるプロダクトが生まれにくいと思いました。スタートアップとして、熱量の高いユーザーに向けてプロダクトを創るに当たって、PMFを達成する為には、一つの十分条件ではないかと感じるようになりました。

次のプロダクト、Sentreiを通じて実現したい世界

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現在開発中のSentreiは、次世代型バックエンドのSaaSです。昨年プロダクト開発をし、バックエンドのインフラにおける共通のペインを感じました。そこで自分自身が感じた開発者のペインを解消しつつ、インフラの保守・運用を一括でセットアップできるSaaSを目指しています。

Sentreiを通じて実現したいことは、ずばりバックエンド開発にて、


「開発者・お客さんともに最高の体験を実現する」


ということです。

5G/AIの時代となり情報伝達の帯域数は増えても、物理的な光のスピードは変わりません。従って、必然的にソフトウェアを通じた顧客体験はサーバーとの物理的距離に比例します。AR/VR/XRの時代では、益々、この物理的距離、即ち遅延がシビアな課題となってくるはずです。ここで活躍するのがエッジ・コンピューティングです。この技術により、大幅な開発者体験向上が実現できるだけではなく、お客さんにとって遅延が解消され、世界のどこにいても最高の顧客体験を提供することができます。著名投資家であるマーク・アンドリーセンが、“Software is eating the world”と言っています。今後10年かけて、“Software with lower latency is eating the world”の時代が確実に到来します。即ち、世界中で利用されるソフトウェアの必須条件として、エッジ・コンピューティングが当たり前のインフラになると思います。世界中のどこにいてもプロダクトでも遅延を一切感じさせない、「まるで光が速くなっているよう!」Sentreiは、エッジの技術を基盤とし、最高の顧客体験を生み出すことを可能とする次世代のプラットフォームを目指します。

なぜ起業するのか

僕が起業を通して実現したいのは、

次世代のプラットフォームを創る

ということです。

当時自分が住んでいた街から生み出されたiPhoneというたった一つのプロダクトが発火点となり、多くの産業やエコシステムを芽生えさせ、世界中の人々の生活を一変させ、スマホが社会に必要不可欠なインフラとなっていく姿を目の当たりにしました。思えば、自分はiPhoneのみならず、GithubやVercelなど、それらを基盤としてユーザーの熱量が高くプラットフォーム要素が強いプロダクトが好きなことに気付きました。自分も同様に、世界を支える社会インフラ基盤となり、その基盤上で世界の多くの人々や企業が利用するエコシステムとなり、派生的に熱量が波及するようなプロダクトを作りたい。それに向かって価値を最大化できる手段が起業だと考えています。

なぜシリコンバレーなのか

過去50年 Google, Github等、グローバルプラットフォーマーのほとんどシリコンバレーから生まれています。イノベーションの聖地がシリコンバレーである理由は、歴史、人、資本、文化、アカデミック、気候等、世界で唯一無二の複合要因により成り立っています。米国起業家のChomp Kiyoさんは、「事業の大きさはどこで始めるかによって大きく影響を受ける」と言っています。2021年5月現在時価総額ベースで世界Top10の企業のうち8社は米国発、そのうち5社はシリコンバレーに所縁のある企業です。従って、世界に向けたプロダクトを創るならシリコンバレーでやるべきだと思っています。

コロナ禍では、シリコンバレーで起業しなくても「リモート環境が整備されているので、日本でも始めれば良いのでは?」という声をよく耳にします。僕も最初はそう思っていました。実際、過去1年は日本でプロダクト開発に取り組みました。しかし、サンフランシスコに来てから考え方が変わりました。シリコンバレーに住んで、同じ志を持つ人達と同じ空間を共にすることは大きな力になるという事です。起業する上での、熱量や視座の高さ等は、物理的に目に見え無いですが、世界で戦う上で非常に大事な要素であると思います。

起業はあくまでも手段であり、クラウドが普及した今の世の中では、地理的、物理的な環境に全く優劣はないと思います。しかし、起業家は自らのコントロール外の事象を逸早く察知し、世界の時流や運までを味方につけることができなければ、偉大な企業を築くことは出来ません。時流を事前に察知し、その波に上手く乗らなければいけません。勿論、その波が本物かどうか、また果たして時機を得ているかどうかを、しっかり見極められる目利き力も養う必要があります。その為には、世界のメガトレンドの大きな波の起点になっているシリコンバレーで起業するのがベストだと思います。

日本人が海外でスタートアップを志す意義

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高3の時訪れた、『坂の上の雲』主人公・秋山兄弟の生誕地

司馬遼太郎の『坂の上の雲』の冒頭で、以下の件があります。
「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」
明治維新から150年が経過し、2021年になった今、
「まことに小さな国が、緩やかな死を迎えようとしている。」
という言葉が一番今の日本の状況を示していると思います。死というのは多少過激な表現であるかもしれませんが、国家として既に衰退期に入っており、伸び代が少ないと認識している日本の若年層は多いと思います。つまり、多くの若い人達が日本の将来に希望を持てていませんので、挑戦する気概が醸成される環境になっていません。

いま、日本は負のループに陥っていると思います。グローバル資本主義の下では、事業規模は、対象とするマーケット次第で、描ける成長軌道が大きく変わってきます。時価総額は、一つの尺度に過ぎませんが、僕が生まれた1998年以降設立された日本発のスタートアップの内、現在も時価総額が1兆円を超えているメガコーンは3社だけです。一方、2005年に設立されたY Combinatorというアクセラレーターが手掛けたスタートアップだけでもメガコーンは6社もあります。

決して簡単ではありませんが、世界の小国であった明治時代の日本人が果敢に打倒大国を目指して前進していったように、日本人が最初から世界市場に挑戦する意義は大いにあると思います。

米国で挑戦される先輩起業家の背中

今の世の中、移民が米国で挑戦することは決して珍しいことではありません。実際、移民のバックグラウンドを持つファウンダーが結果を残しているケースが数多くありますし、移民のスタートアップに特化したシードファンドもあります。移民起業家コミュニティの観点では、欧米・英語圏のコミュニティの結束感は強いように感じます。

一方、中華系以外の非英語圏のコミュニティだとシリコンバレーでは、プレゼンスが低い事は明らかです。日本人起業家コミュニティについては、Chomp Kiyoさんを筆頭にAnyplace 内藤さん、Ramenhero 長谷川さんが、スクラッチから立ち上げられたので、シリコンバレーで起業に挑戦する日本人ファウンダーが少しづつ増えています。僕は先輩方の築かれた礎に最大限の敬意を払いつつ、先輩達を超えて行く使命があると考えています。

米国で挑戦されている先輩起業家達の姿を見て、一番感じたのは、スタートアップという生き方を愛しているということです。真剣にで世界を変えるプロダクトを生み出す事を志して、米国で挑戦されています。皆さん少年のような眼差しをされており、生々として輝いています。加えて、生涯を通してチャレンジし続けることに重きを置かれています。Anyplace 内藤さんのブログで、”現役として起業家であり続けること”と表現されているように、10年単位での事業成功の可否ではなく、2回、3回の挑戦も前提にして、人生をスタートアップに懸けている姿は本当に格好良い。そうして、命を燃やしてチャレンジしている方々が、実際に醸し出す空気感に触れて、僕は腹の底から身震いするものを感じました。

人としての生き様

僕は次世代のプラットフォームとなり、世界中の人々に熱狂して愛されるようなプロダクトを一生かけてでも創り続けるためにここに来ました。その際のベンチマークが時価総額300兆円です。世界で最も時価総額が高い会社Appleは2021年5月現在約240兆円です。僕たちの世代でAppleの様に、次のフロンティアを開拓し、世界を制覇する企業は、30年〜40年後に300兆円を超えてくるかもしれません。おそらくイーロン・マスクのTeslaやSpaceXは、近い将来、Appleを超えてくるでしょう。僕は、それをも超えたい。

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Anyplace 内藤さんから頂いた言葉

多くの人がそうであるように、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクへの憧れが強く、彼らにインスパイアされて、スタートアップに飛び込みました。いざスタートアップを始めてみましたが、上手くいかないことしかなく、理想と現実のギャップは大きくなるばかりでした。彼らの創り上げたものは、とてつもなく巨大に感じ、口先だけの夢想家の自分に嫌気が差す毎日でした。ジョブズの言動を模倣し、現実逃避することで、何とか自分のアイデンティティを保っていました。先日、そんな自分をみかねたAnyplace 内藤さんから次のようなメッセージを頂きました。最終的に人々にとって一番価値があるのは、その人個人の「人としての生き様」だと。だからこそ本心で自分の言葉を語るべきだ。思えばどんな偉大なプロダクトでもいつかは過去のものとなりますが、ジョブズやイーロンの生き様は永遠に人々の心の中に刻まれる。自分は自分としての道を歩んでいくと決心した瞬間でした。

そのために、目指す山は高く、リスクを大きく張り続けバットを振り続ける。自分の信じる次世代のプラットフォーム創りを通じて、熱量の高い未来を目指して。どこまでも、しなやかに、したたかに。


最後に

自分は未だ荒削りでありますが、それでも多くの方々にサポートされて挑戦することができています。

メンターであるRemotehour 山田さんには、一番苦しかった、どん底の時に手厚く支えて頂きました。また、Chomp キヨさんからののサポート無しでは、全く前に進むことが出来なかったと思います。ずっと憧れであったAnyplace 内藤さんのアドバイスのお陰で、模倣ばかりしていた自分から少し脱皮することができました。Ramenhero ヒロさんのコーチングにより、自分の中の価値感を再発見できました。Ofuro ゆうすけさんには、営業やヒアリングなど、自分に一番足りないところを丁寧に教えて頂きました。Zypsy かずささんのメンタリングには毎回圧倒されるくらいの学びがあり、自身の成長に繋がっています。自分と同じくPioneerに採択されましたPotlatch 大河さんは溢れんばかりの漢気で、人としてのあり方を教えて頂きました。ご近所さんのGlasp かずきさんの徳の高さと思いやりの深さには一生敵いません。シェアハウスに同じく住んでいるHere 永田くんとは毎日白熱の議論に発展しますが、心から信頼しています。Nokinえーちゃんには、持ち前のポジティブさに日々鼓舞されています。Dayshop だっつの美的センスあるメッセージは、心の支えになっています。Neurotech わっきーの日常から溢れる優しさと気遣いに心から癒されています。

日本にいる時から支え、応援してくれている中高大時代の友達は、かけがえのない存在です。また、こうした挑戦を応援してくれている家族にも心から感謝します。長文になりましたが、引き続き、宜しくお願い致します。

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米国で挑戦される先輩起業家の皆さんとの一枚
(左から:中屋敷さん、山田さん、けいすけさん、大河さん、内藤さん、ゆうすけさん、ヒロさん、こうへい、かずささん、僕)