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株式会社BANKを退職し、ブリュワーになります

この度、株式会社BANKを退職しました。
(ちなみに、これまでの僕の経歴はこちら

ぼくがこのnoteを書く理由は2つあって、ぼくがこれまでお世話になった人やこれからお世話になる人になぜ今回のような意思決定をしたのかをしっかり自分の言葉で伝えたいと思ったのと、ぼくのこれまでのキャリア選択における意思決定とこれからの意思決定の方針をまとめることで、様々な境遇にいるこれから新たに挑戦したいと思っている人に対して少しでも何かヒントになれば嬉しいと思ったからです。

BANKでの1年間

新卒1社目で証券会社に入り、BANKはぼくにとって2社目の会社で、昨年の6月に「マネージャー」という肩書きでジョインしました。そこから今日までちょうど1年間在籍したことになります。

「マネージャー」と聞くと何かすごい偉い役職のように聞こえますが、BANKにおけるマネージャーって、「マネジメントをする偉い人」というよりもより現場で案件をまわす実行部隊であり、泥くさくエンジニアリング以外の幅広い業務(PM・法務・財務等)をこなす何でも屋を指します。そんな役職についているからには、事業をつくっていくために色々な泥臭い(but貴重な)経験を大小さまざま積むわけなんですが、そんな中でBANKで学ぶことができた一番大きなものは事業をつくりあげることの難しさ・面白さを自分ごととして感じられたことが本当に本当に貴重な経験だったなと思っています。

これまで投資銀行で仕事をしてきて、自分の仕事のスタイルはどうしてもアドバイザリーとしてのアウトプットを出すことや事業を作っている会社の手助けをすることに最適化されたスキルセットになってしまっていました(モデル作るとか、財務分析するとか、市場調査するとか、パワポ作るとかetc...)。別にそれが悪いとかではないんですが、いざ事業を作ろう、となったときに自分の手元にあるハードスキルだけでは全然ダメで、組織を作っていくためのコミュニケーションをいかに繊細にできるかであったりササッと手を動かして事業を前に動かしていくための推進力であったりが圧倒的に欠如していて四苦八苦だったのを覚えています(今でもわりとそんな感じですが)。

その点、スタートアップという組織が、とりわけBANKという組織がエンジニアドリブンな会社で「まず作ってみる・実験してみる」ことを大事な価値観として共有していて、めちゃくちゃ「フッ軽」なサービス運営をする会社だったからこそ学べることはすごく多かったです。まず市場に出す、出してからユーザーの反応をみて、あるいはtoBのクライアントの反応をみてビジネスモデルをファインチューニングしていく、という今までの自分の働き方とは全く逆の価値観で仕事をできたことで事業の楽しさを学べたし、同時に考えてるだけではうんともすんともいかない、事業の一筋縄ではいかない部分も多分に経験できました。

この1年だけでも関わったプロジェクトはめちゃあるし、その中には先日ローンチして日の目を見た「モノ払い」もありますが、このような華々しいローンチの裏には途中で頓挫・凍結するものもあったり。わかっていても実現できない・実現するのは容易じゃない、みたいなことをこの1年で千回単位で経験してきて、実現するだけのことなのになんでこんなに難しいんですか、まじ無理、って何回も思いました。
これはCASHチームのみんなにぜひとも伝えておきたいことなんですが、あえて名前はあげませんがプロジェクトリーダー級のひとたちがでっかい課題がくる度に死ぬほど踏ん張ってて、おそらく本人もめっちゃ怖くて逃げたいだろうにそんな素振りは全然見せずに課題に立ち向かっててひたすらに、すごいな、尊敬できる人たちだな、心強いな、と心底思いました。BANKを離れることで、そのみんなと仕事を出来なくなるのが本当に寂しくてたまらないです。叶うことなら、また、みんなと仕事をしたいです。ぼくのほうもステイではなく、ひと回り、ふた回り成長しておくので、なんか面白いことにまた一緒に挑戦できると最高に嬉しいです。

また、こんな証券会社上がりの使えるのか使えないのかも分からない若造を拾いあげてくれて、積極的に使ってくれたBANKという会社、もとい光本さんや高田さんにも最上級のお礼をおくりたいと思います。本当に本当に、ありがとうございました。

これから何をするか?

上記のようにBANKという会社は本当に素晴らしい会社です。それでなんで素晴らしいその会社やめちゃうの?という話になると思います。残念ながらその理由を一言で言えるだけの説明力を持ち合わせてないので、少し長くなりますがご一緒ください。

結論から言うと、BANKをやめてビールを作ります。

これだけ書くと大丈夫か心配されそうですが笑、自分としてはキャリアは分断することなく、なんとなくゆるくそれぞれにつながり合っている(Connecting Dots的な)と考えていますし、その時々において自分なりに悩んで考えた結果今回のような意思決定になったと思っています。

意外と言われることが多いのですが、そもそもぼくはものづくりをしたいと長い間思ってきました。自分がいいなと思うものを作って、人に喜んでもらって、それで給料がもらえるなんて素晴らしいなと。大学進学時に明確にすごいもの作りたいな、と思っていて、エンジニアになって「空飛ぶ車を作りたい」と本気で思っていたこともありました。このエンジニアになりたいという夢は、大学1年のときに某世界的自動車メーカーさんの会社説明会で現場のエンジニアの方々に、空飛ぶ車とか夢のある新規の技術開発を今後できるようになる素地はあるか?という趣旨のことを聞いたら、苦笑いとともに「今はエコカー。今後はスポーツカーやSUVですら作りづらくなるだろう(いわんや、空飛ぶ車をや)」的な趣旨のことを言われて、夢ないなエンジニア、と思ったのと同時に「あ、このままエンジニアになっても作りたいもの一生作れないかもしれないな。それならビジネスサイドからやるしかないか」と方向転換を迫られるわけで長くは続きませんでした。(実際、2019年現在では空飛ぶ車は単なる夢物語でなく、自動車会社OBなどにより世界中で会社設立され名だたるVCなどから多額の資金調達をしているわけですが。)

そこからエンジニアにはならずジェネラルな「ビジネスパーソン」を目指したわけですが、投資銀行に入ったのは端的にいうと、今後やることになる事業内容は今はわからないけど「お金」はどんな業種になっても扱うだろうと単純に考えていたことが大きかったです。というか、格好よく言うとそうですが、当時は何かしら自分のキャリアに色をつけるのが怖かった、というのが正直なところです。一つの業界に入ってしまうと、「●●業界のひと」と色をつけられて自由な動きが取れなくなると思っていたから。もちろん、今思うと転職は十分一般的になっていて会社組織に所属しない生き方もできてきているし、どの会社でも必要とする能力は大きい視点ではそんなに変わらないから別に心配することはなかっただろうけど。当時は漠然とキャリアをはじめること自体が怖かった。

投資銀行ではそこかしこで言われているように、結構な激務でした。新卒時代は(効率が悪かったこともありますが)平常時で7時〜1時で働いていました。そこから得られたものは多いおもっています。あそこで踏ん張って色々学べてよかった。ビジネスマン基礎力ゼロだったことを思うと、いま高いとはお世辞にも言えませんが、随分引き上げてもらったなと思います。
ただ、投資銀行というビジネスは新しいビジネスではないしそこに集まっている人はやはり「オールドエリート」志向な人が多く、コミュニケーションや価値観において固すぎるなという感じがして、あまり馴染めなかった。

自分が事業をするなら、あとは最低限「マネジメント」をやってみたい、そう思うようになっていました。
そういう意味で、スタートアップは最高の土壌でした。仮にも「マネージャー」というポジションで意思決定を自分でする、チームビルディングをして案件を動かしていく、みたいな勘は養えるところだなと。先達がみんなして言っている「意思決定はやらないと上手くならない」というのを身をもって体験できました。

さて、振り返りはこれくらいで、事業開始に必要な知識や実務経験、マネジメント経験、それらをめちゃ薄くではありますが携えて、やっと自分ならどうしたいか?を考えてもいいところまで来たなと思っています。そのときに思い出したのが、キャリアのVSOPという考え方です。

この考え方は誰が言い出したことなのかよくわかってませんが、確かちきりんさんやけんすうさんがブログに書いてたと思いますが(興味ある方はググってください、ここでは説明を割愛します)、
要は20代はV、つまりVariety(種類、多様さ)を追及しろよ、ということを言っていて、自分に何が合うのか、何を楽しいと思うのか、どんな人たちと働きたいのか、どんな働き方をしたいのか、を様々な経験をすることによって追及しろよ、ということを言っているものだと理解しています。

僕は今年29歳で最後の20代ですがまだまだVが足りていない、経験の量も質も全然足りていないと感じています。だからこそ、まだまだ攻めたい。今回の転身がその決断の現れです。(どうでもいいことかもしれませんが、より若い人たちのために言いますね。僕は2回の転職で両方とも給料を大幅に下げる決断をしています。それくらい経験というものの価値を大きく捉えています。)

僕は何か作りたい。何を作りたいか?それは多分、自分の好きなものだろう。じゃあ好きなものって何だ?家電か?ビールか?わからない。わからないけど作ってみたい。作ってみて考える、それでいいのではないか。
行動に移して、感じて、はじめてわかることがこんなに多いんだとこの1年間、スタートアップという土壌で学びました。行動を起こした先にどんな感情が待っているのか知りたい。だからこそ、まずは行動しなくちゃと思った。

ちょっとポエムっぽくなってしまってますが、要はそういうことです。自分の好きなものをガンガン作ってみて、それでいろんな人に自分の作ったものを好きになってもらう、それがどんな感覚かを知りたいのです。

次にお世話になる会社は、Far Yeast Brewingという会社です。この会社はクラフトビールを作っている会社で、日本初のクラフトビールを世界中に発信することをミッションにしている会社です。社長も従業員の方々もとても信頼できる人たちですし、小さな会社ですが日本というクラフトビール後進国において世界を真剣に相手にしてものづくりをする気概のある会社です。
ここで僕はビール作り、もといものづくりを学び、価値を出せるところで最大限能力をストレッチして貢献していければと思っています。それと同時に、自分で作ったものを人に届けた時の感情を追及できれば最高です。そのために、これまで通り手段を選ばずどんどん前に進んでいこうと思っています。

あと私事ではありますが、この転職を機に会社を作ろうかと思っています。信頼できるパートナーも見つかったので、細々とかもしれませんが、頑張ります。

知り合いの方々へ
この転職を機に、愛する世田谷区三軒茶屋を後にし、山梨県小菅というところに引っ越します。村です。みなさんが想像するより田舎だと思います。
東京には定期的に行きますが、どうか、たまに遊びに来てください。キャンプ用品はすべて持っているので、みんなでキャンプにでも行きましょう。車も買います、出します。

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