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卒論も終わったので仮面浪人+ICU4年間を振り返っておこう

※気づいたら6000文字になってしまいました。

1年目(埼玉大の1年生)

高校を卒業した頃、僕は学校の先生になろうと思っていた。高校3年生の3月、当時確か埼玉大学教育学部と早稲田大学社会科学部が選択肢にあったが、あまり迷わずに埼玉大学を選んだ。理由は2つ。1つが小中高の教員免許を取得できるということ、2つ目が国立で学費もかからず親孝行になるだろうということだった。

夢溢れて(?)入学したが、シラバスを見た瞬間に心が一度折れた。何一つ受けたいと思える授業がなかったからだ。実際に受けてみてもその印象はあまり変わらず、授業の意味をなかなか見出せなかった。

いやいや、やはり教育など座学ではないはず、これまで中学~大学までほぼほぼ独学でやってきたメソッドを用いて、中学生に勉強を教えるんだと塾講師になるが、初日に20人を相手に授業をし、まるで話を聞いてもらえなかった。その後大学でのプチ実習的なもので小学校に訪れた時には、小学4年生相手に「ねえねえ、先生ち○この大きさどれくらい?やったことある?」と、質問をされ、「小学生もこれかよ・・・」と、座学にも、対面にも希望を見いだすことができなかった。

その後、塾で授業をすることには慣れたものの、僕がイメージしていたような、「教育問題を解決したい」とか「独学を促進するような学習塾を将来作りたい」といった目標と似たものではなく、また大学の講義も僕の思惑とは完全に違うものだったため、入学から3ヶ月して大学を変えることを考えるようになった。

僕は現役受験生だった頃、恥ずかしながらICUという大学を知らなかった。最初にICUを知ったのは、大学1年生になってから漸く手に入れたスマホで、「大学 変える 色々 学べる」とかそんな検索キーワードでググって、ICUのサイトにたどり着いた。今では「そんなもんか」くらいの感覚になっているが、当時の僕にとって「集中的に1年生で英語を習得」「メジャー制度」「交換留学」などは妄想を掻き立てるには十分な効果があり、「もしかしたらここに行くことで今の状態から脱せるかもしれない!」と、ICUに行きたいと思うようになった。

しばらくは家族には告げず、ICUはどうやら受験時に英語の配点が高そうであるとか、謎の「総合教養ATLAS」という試験があるとか、そんなことだけをググってしり、とりあえず英語リスニングだけはやっとくかと思ってひたすらシャドーイングだけを毎日やっていた。

学費を払っている以上、大学の授業をサボるというのは絶対に嫌だったため、授業には行き、バイトをし、シャドーイングをしていた。初期は苦言を呈していた両親も「やりたいことがあるなら頑張りなさい」と背中を押してくれ、懸念もなくなり、とりあえずシャドーイングをしていた。

と同時に、高校時代部活で忙しく、読書ができなかったため、大学図書館にある「○○学入門」というものを片っ端から読み漁り、「こんな学問があったんか・・」と日々アハ体験をするとともに、英語シャドーイングを続けていた。

当時辛かったのは、あまりコミュニティにうまく馴染めず、自分自身が何を目指して動いているかも不明瞭な状態だったこと。馴染めてる風を演出することはできても、どこか演じている自分がいて、一体自分がどこに向かっているのかを見失いそうになる期間だった。また、一度夢見た「教育」に挫折し、バイトの人間関係に苦しみ、一人で生活をするという時間は家族が側にいた現役の受験の時とはまるで異なった辛さを持ち、あの頃に身についた精神的な強さというのは今でも宿続けていると思う。

その後無事ICUに入学できた。埼玉大学での1年間を振り返ると、メンタル面で磨かれた部分の他に、

・イメージと現実はかなり異なること
・どうやら自分はフワッと教授の経験談を語る傾向のある分野にストレスを感じてしまうらしいこと
・世の中には色々な学問があるということ
・英語シャドーイングはかなり効果的であること
・一人きりで努力するのは耐えられるけどかなり辛いこと

を学んだ1年間だったように思う。

2年目(ICUの1年生)

ICUでの最初の学期は本当に地獄だった。先にも書いた通り、僕はシャドーイングとリーディングしかしていない。「マジで英語を喋ったことがない」ことがかなりICUではレアであることを知るのに時間はかからなかった。

今思うと大したことはないはずなのだが、「ELA」と大きく印字されたあの教科書をどれだけ憎しみをもって見つめたことか。授業内で必ずあるディスカッションで発言をする時どれだけ冷や汗をかいただろうか。ヒドイライティグをして赤だらけになった自分のGoogle Docsをみてどれだけ悲しくなっただろう。

ただ、あまりにもできなかった分、「やるしかない」と思えたことが逆によかったのだと思う。できないならば人より量をやることでしか解決しない、というのは野球や受験を通じよくわかっていたので、まず大学の授業と課題は最大限のクオリティを目指すこと、オンライン英会話を毎日やることを目標にした。

加えて、ICUのサマープログラムでカナダに6週間ほど滞在して英語を学んでくるというものがあったのだが、ここでかなり自信をつけたように思う。ICUに入るまではまるで話したことがなく、入ってからも外国人の先生としか話したことがなかったので、6週間を通じ、英語を話して友人を作り、たくさん遊ぶ、という体験は「ちゃんとコミュニケーション取れるじゃん!」という思いと、「もっとできるようになりたい!」という思いの両方をくれたように思う。ちなみにプログラム中もホームステイ先でシャドーイングをしていた。

秋くらいになって徐々に大学にも慣れてきて、当初ICUを選んだ目的だった「色々学べる」を模索する時がきていた。とりあえず受けてみた公共政策の授業で「奨学金の実情」についてプレゼンをした際には、僕の生まれ育ちの背景とICUのマジョリティの背景がかなり異なっていることに改めて気づき、これを機に卒論のテーマにまで繋がる「社会階層」への興味を持つようになった。

一方で、冗長な授業を受けることは埼玉大学の頃からかなり嫌いだったので、友人に誘われてICUでは厳しいことで有名なミクロ経済学原論をとった。確かに難しいは難しいのだが、とにかく面白く、なるほど、世の中の仕組みはこういう風に解明できるのか・・!とやけに感動した。そんなこんなで1年間は終わってしまった。ICU1年目で成長した部分は、

・英語かなり聴ける、喋れるようになった
・初めて他国の人と話し、1次情報と2次情報の重要性を知った
・社会階層というものに興味が出てきた
・経済学がすごく面白いと感じられるようになった

3年目(ICUの2年生)

春学期から経済学をやるんだ!!!とものすごく意気込んでおり、実際この年は、

上記の授業を1年間で全て受講した。特にゲーム理論では「シグナリング」であったり、「評判」「スクリーニング」「モラルハザード」など、普段日常生活でも「確かにそういうのあるよな」というものが理論化されている部分が非常に興味深かかった。と同時に、当時お世話になっていた先生から、「教育経済学をやりたいなら実証が中心になるからとにかく今は統計と計量経済をやりなさい」とアドバイスをもらい、統計学をやり始めたのも春からだった。

もともと文系なのもあり、あまり数理統計は得意ではないが、やはりこの1年間で学んだ統計・計量の知識というものが最後まで卒論の分析のメインだったことを思うと、重要な1年間だったように思う。

2年の夏にはインドネシアのかなり田舎の村に3週間ホームステイをし、アジア各国からの学生と一緒に様々な肉体労働を行う、という体験もした。この際、ホストファミリーは英語を話すことができなかったため、僕の片言のインドネシア語でコミュニケーションをとるだけだったのだが、言葉など重要ではなく、日々生活を共にする中で関係は深まっていき、大号泣のお別れだった。この村には3年次の冬にも遊びに行っており、それだけ帰りたいと思わせてくれる場所だった。

ある時僕が頭痛で起き上がれなくなった時、ホストファミリーが一日ずっと側にいて看病をしてくれたことを忘れることができない。「何がボランティアだよ・・・、世話されてるの僕じゃないかよ」と男泣きをした。この時思ったのだが、なんとなく良いことがしたくて「社会貢献活動」をすることってほぼ意味がなく、その場所にいる人たちに何かしら影響を与えることがあるとすれば、生活を共にし、本気で相手を好きになることしかないのだと思った。また、発展途上国の人は日本人より幸せそうに見えるとか言ってしまうのは少し違くて(最初はそう思った)、ある程度の時間を過ごせば、「幸福の閾値」が違うだけだったり、意外と価値観的なものはムスリムの方と僕とでも大きく異ならなかったりすることが理解できた。

また、かなりど田舎にすむ彼らでもその多くがスマホを所持し、FacebookやInstagramを使っていることにもかなり驚かされた。また偶然にもインドネシア大統領の息子さんとボランティアグループが一緒だったため、大統領マネーで村にwifiが開通し、彼らの情報環境は劇的に改善していた。

ホームステイとは別に、一緒にプロジェクトに取り組んだメンバーともかなり仲良くなり、今でも連絡を取っている。期間は短いものの、交換留学の頃の友人より連絡を取っているから不思議だ。単純に異環境の中、何かに一緒に取り組むというのは想像以上に連帯意識を根付かせるものかもしれない。

ここでは初めて歴史認識問題で傷ついたこともあった。メンバーのうち2人の中国人がかなり反日よりであり、南京大虐殺についての意見を求められ、日本人の責任について追求され、かなり苦しかった。僕個人としてはアジア史をそこそこ学んだからこそ、「歴史問題には個人では絶対に触れない」というスタンスを取っているので、そこを突かれても何も言えず、かなり苦しさを感じたのだった。

また、このメンバーの中には6人の香港人がいた。中国からの圧力など微妙の立ち位置にいる彼らだからこそ、自らの専門性を本気で高めようとしている様子を肌で感じ、僕も香港で学びたいと思うきっかけになった。また参加していた香港人女性が全員美女だったので香港に行こうと思った。

帰国後IELTSで必要なスコアをとり、エッセイを書いて、面接をして香港大学へ行けることになった。

その後も経済学に取り組んでいたが、2年生の3月に、とある大きなIT企業の1ヶ月のインターンに行ったことがきっかけで、テクノロジーに興味が湧くようになったのが2年生の最後のことだった。

ICU2年生で学べたことは、

・卒論にも使う、統計・計量を学べた
・凡そ重要な学部で学ぶ経済学を学べた
・香港人女性は美人
・社会活動をするなら現地に住み着き、人類学者的な動きをしたい
・プログラミングに興味が湧いてきた

4,5年目(ICUの3,4年生)

ICUの3年生の前半はedtechの会社でインターンをしていた。教育データの分析がしてみたいということで始めたインターンだったが、「そもそもビジネスのデータを分析するとは何か」、「事業を作る・回すとは何か」などを学ばせていただいた。また初めてSQLというものに触れ、データベースの操作だけでもこんなに多くのインサイトを得られるのか!!!とものすごく驚いた記憶がある。

夏からは香港留学が始まった。香港留学については散々振り返っているしまだまだ日も浅いので書くことがあまりないが、自信を失った前半と自信を得た後半というようなイメージだったように思う。

授業でのリーディングやテストに関してはあまり難しさは感じなかったのだが、ディスカッション・プレゼンにかなりストレスを感じた。これまで英語を話してきた環境は所詮「英語学習者」と話していたことが多く、ネイティブの人やネイティブに近い人とアカデミックバチバチの議論をすることは初めての経験だった。このネイティブに近い人とバチバチの議論は前半戦はかなり苦戦し、後半戦はかなり慣れた、という感覚があった。

授業では社会学理論を中心に学び、フィールドワークなどにも行っていたが、と同時にwebアプリケーションを作ってみたくなって独学して作ってみたり、分析するためにRが学びたくて独学してみたり、積ん読していた本をしこたま読んでいた。

留学終盤からは卒論にも手をつけ始め、帰国後は内定者インターンをしたり、webアプリや分析の勉強を継続したり、中国語を独学したり、少々旅行したりしていたら今日の日を迎えてしまった。

卒論のテーマは「大学生の自己調整学習能力と社会階層・教育経験の関連性の研究」で平たくいうと独学する能力は育ちの背景と相関があるんではないか??という仮説に基づくテーマだった。知らなかったのだが、自己調整学習という分野はかなり理論が発展してきており、その周囲についての文献を読んだり、それを定量化する手法についてを学んだりしていた。ただ、この分野は心理学的な傾向が色濃く、社会環境は織り込んでいなかったため、僕の研究では社会環境の側に視点を置くことにした。結果は仮説の通りだった。

4,5年目で学んだことは、

・データ分析そのものより仮説ちゃんと立ててそれを検証する目的で分析しないと意味ないよねということ
・香港大学の学生をみて、新卒として自分がアジア諸国ではどのくらいの立ち位置にいるのかそこそこ理解した
・社会学理論をかなり学び、卒論に生かした
・テーマ設定→分析手法→アンケート調査→分析→解釈までを卒論を通じて一通り学べた
・webアプリを作る過程でwebの仕組みをそこそこ理解した
・卒論の過程でR書くだけならできるようになった。一方で解析手法をもっと学ぶ必要があると思った

まとめ

今振り返っても仮面浪人の決断は非常に良いものになったと思う。あの時環境を変えていなければ、その後に出会った多くの人に出会えなかったと思うと恐怖すら覚える。

意思決定をしたり、興味分野を開拓していく中で、影響を受けた誰かがいて、その誰か+誰か+誰か・・・・の集合体が自分を形成している気がする。その多くがICUを通じて出会えた人たちだと思う。

埼玉大学を選んだ決断が今振り返ると「良い経験ができたな」と思うように、選んだ決断の是非はすぐにはわからない。ICUを選んでよかった、と思えているのは間違いなく入学後に様々な経験ができたからで、単純に入学がゴールなのであれば、こういう気持ちにはならなかったと思う。

まず、2月から働き始めることになるが、この決断も正解にできるか否かは自分の行動にのみかかっているので、地に足をつけて、日々日々学び続けていきたいと思う。

5年間ありがとうございました。

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