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黙示録セミナーセッション2(全7セッション)

このノートは、2015年1月20日(火曜日)から23日(金曜日)に新宿シャローム教会、レーマ聖書学院で開催された韓国からの講師、李ゼハ先生の黙示録セミナーの講義ノートに、私が加筆・補足したものです。
黙示録、特に携挙に関しては様々な教えと立場があります。今回は新宿シャローム教会に李ゼハ先生をお招きしましたが、この教えは李ゼハ先生の考える立場から話されています。ぜひ、それぞれが内容を吟味して受け取ってください。それぞれの所属している教会で黙示録に関する考え方、立場があると思いますので、疑問に思うところは所属教会の牧師先生に相談し、所属教会の牧師先生のご意見に従っていただけたらと思います。

黙示録を紐解く鍵の一つは聖所にあります。

一年に一度、大祭司しか入ることができなかった至聖所の幕は、イエス様の十字架によって真っ二つに裂かれたことは皆さんご存知だと思います。
至聖所の中には何があったでしょうか。
そこには契約の箱がありました。
聖所には香の壇、燭台、パンの台があり、大庭には洗盤、全焼のいけにえの祭壇がありました。
この事を後で詳しく見て行きたいと思います。

世界には様々な宗教がありますが、多くの神々を信じているものにとっては、唯一の神を信じている者は不思議に感じるはずです。
つまり、同じ民族でも二つの民に別れる可能性があるということです。
同じ日本人でも、イエス様を信じるなら、神の民と日本の民に別れてしまいます。
この分かれ目は、どの神に仕えているかによって変わってきます。
世界のどこにおいても、この二つの衝突を感じます。

今世界を騒がせているISISにも、信じている神々があります。残念なことですが、彼らはその故に人々の首を切るのです。

人は同じ空間に過ごしていますが、別々の民となる事があるのです。
その中でも、主を信じるものは特別な主の守りがあります。

私たちが信仰を持っていても、本物の信仰と偽物の信仰は迫害の時にはっきりと分かってします。
患難の中、迫害の中であっても、更に主を愛するものとなることができますよう祝福します。

反キリストは、私たちに「自分に仕えなさい」と言ってきます。
言い換えれば、主以外の神を信じなさいと強要してくるようなものです。
その声に魅了されて、世の中の多くの人は反キリストに仕えるでしょう。
しかし、反キリストに仕えないのはクリスチャンのみです。
だからつまり、これは至聖所の問題なのです。

■ 聖所の燭台(メノラー)

聖所には三つの器具がありました。
・パンの台
・燭台
・香の壇(本来は至聖所に属するものですが普段は聖所に置いてあるものです)

この中で燭台は神の臨在を意味します。
そこにともされた火は聖霊様を意味します。
燭台には7つの皿があります。

しかし、旧約聖書にはふたつの灯火と言っているところがあります。
つまり、燭台(メノラー)が二つあると言っているのです。

黙示録10章、11章にも、ふたつの燭台が出てきます。
香の壇は8,9章に出てきます。
そして、洗盤は7章に出てきます。
いけにえの祭壇は4,5章です。
これはすなわち、礼拝を意味します。

礼拝を捧げていく時、時にその礼拝は人々にとっては不便な礼拝かもしれません。
しかし、実はそれが主への真の礼拝なのです。
神様の御声に聞き従わない者にとっては不便な礼拝に感じるのです。
しかし、御声に聞き従うものには最高の礼拝と喜びにります。
礼拝を受けるべき方はイエス様のみということを忘れてはいけませn。
その御方が座られているのが御座です。
私たちの礼拝賛美は主の御座にまで届くのです。

■ 御座に関して 黙示録4,5章、20章

<黙示録 4章 1節>
その後、 私は見た。 見よ。 天に一つの開いた門があった。 また、 先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。 「ここに上れ。 この後、 必ず起こる事をあなたに示そう。 」

礼拝を理解する前に、まずは聖書の読み方を知る必要があります。

① 聖書を読む

聖書を研究するより先に、聖書をよく読む必要があります。
では、どのように聖書を読めばいいのでしょうか。
その読み方が大切なのです。
心を尽くして読むのと、単に読むのは全くちがいます。
そして、聖書読むと同時に、みことばを書き写すことも大切です。

② みことばを書く

私はかつて、弟子たちに朝の3時に起き、その後山にまで歩いてき、戻ってきたらA4の紙にみことばを書かせるという訓練をしました。
その時に、みことばを一文字でも書き間違ったら、その紙を破り捨て、また一から書きなおすのを訓練としてさせてきました。
どうしてそういうことをするのでしょうか。
それは、聖書を記した人の気持を知るためです。
主への尊敬と恐れを知るためにこの訓練は有益です。

③ 聞く

そして、聞くのです。
祈りとはすなわち聞くことです。
祈りは私が語っているのですが、それは神様の声で聞いているということにもなります。
祈りの家では聞くことよりも話すことのが多いでしょう。
実は聞くことは大変な作業なのです。
神の御声を聞くのには訓練が必要です。

聖書を読む、書く、聞く。
このステップが大切です。

その時、私は聖書の解説書などは脇に置くようにしています。
かつては様々な資料を並べて聖書を読んでいましたが、今はただ、聖書だけを読むようにしています。
なぜなら、聖書は神に関する書物だからです。
全宇宙も聖書には及ばないのです。

聖書を繰り返し読んでいると、その中から神様の語りかけを聞くことができるようになってきます。
(※記者注:もし出来るなら、声に出して聖書を音読することをおすすめします。黙示録の1章にも「朗読するものは幸い」と書かれている通り、声に出して繰り返しみことばを朗読することは私たちの信仰にとって有益です。)

■ ここに上ってきなさい

<黙示録 4章 1節>
その後、 私は見た。 見よ。 天に一つの開いた門があった。 また、 先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。 「ここに上れ。 この後、 必ず起こる事をあなたに示そう。 」

みことばは「ここに上れ」と言っています。
この事を携挙と取る人がいますが、果たして本当でしょうか。
ここは全教会の聖徒に言っているのではなく、使徒ヨハネに個人的に言っている所です。

7年間のシャブア、大患難の前に携挙があるという人はここを主張してきます。

聖徒の中に、神の御国を体験したものがいるでしょう。
そのような人が、このみことばをもって艱難前に携挙があると主張するが、このみことばはヨハネに個人的に語られていると見る方が自然です。
黙示録を読み進めていく時は、聖書に対する不自然な解釈は良くありません。

「ここに上って来なさい」という目的は何だったのでしょうか。
「患難がこれから来るから避難しなさい」というものではありません。
ではなぜ、「ここに上れ」と言われたのでしょうか。

「必ず起こることをあなたに示そう」と言われたこと、これが目的です。
患難を避けるのが目的ではありません。
この聖句は患難と何の関係もないのです。
これから起こることを見せて下さると言っているのです。

真理の世界では正確さが要求されます。
主のしもべたちに示すために、ヨハネの黙示録は書かれたのを学びました。
それはここでも同じです。

つまり、「必ず起こることをあなたに示そう。」と言われたこと。
これが、ヨハネに上って来なさいと言った目的です。

<黙示録 4章 2節>
たちまち私は御霊に感じた。 すると見よ。 天に一つの御座があり、 その御座に着いている方があり、

ここでは、誰が聖霊に感動したのでしょうか。
注目するところは、全世界の教会が聖霊に感動したのではなく、ヨハネが御霊に感じたということです。
そして、ヨハネがそこで見たものは天の御座です。
この御座に座っておられる方こそが、私たちが信じる方です。
天の御座が紹介されています。

黙示録では、神の御座が4章、5章から紹介されています。

<黙示録 5章 1節>
また、 私は、 御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。 それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、 七つの封印で封じられていた。

この巻物が大切です。
なぜなら、そこに奥義があるからです。
この巻物はすべてが完全に秘密にされているので、7つの封印で閉じられていました。

今でもそうですが、手紙に記された封印を解くということは、絶対的な秘密を保持されたものを解くということになります。
今でもある人は手紙を送る時にロウで封印をするのを見たことがあるかもしれません。封印とはそういうものです。

<黙示録 5章 5節>
すると、 長老のひとりが、 私に言った。 「泣いてはいけない。 見なさい。 ユダ族から出た獅子、 ダビデの根が勝利を得たので、 その巻き物を開いて、 七つの封印を解くことができます。 」

7つの封印を解くことができるのは唯一、ユダ族から出た獅子、ダビデの根。つまりイエス様だけです。

■ ユダヤ人と異邦人

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