オファー・アミタイ師(エルサレム世界大会2015)

詩篇93篇を朗読します。

【主】は、 王であられ、 みいつをまとっておられます。
【主】はまとっておられます。 力を身に帯びておられます。
まことに、 世界は堅く建てられ、 揺らぐことはありません。

あなたの御座は、 いにしえから堅く立ち、
あなたは、 とこしえからおられます。

【主】よ。 川は、 声をあげました。
川は、 叫び声をあげました。
川は、 とどろく声をあげています。

大水のとどろきにまさり、 海の力強い波にもまさって、
いと高き所にいます【主】は、 力強くあられます。

あなたのあかしは、 まことに確かです。
聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。
【主】よ、 いつまでも。

これはメシヤについて語られている詩篇。この表現にあるように、大水も川も主の御前では弱い。主の家にはそれはふさわしい。
主は今、何かを全世界でなされようとしている。これが解放だと思う。

まず、主はご自分の御体、主の宮に来られるでしょう。聖なるきよめの津波が教会の中に来ようとしています。なので、きよめの招きについてお話したいと思います。

イエス・キリストを通して与えられる恵みの啓示について。

恵みが来ようとしています。ペテロはこのように言っています。

<1ペテロ1:14-16>
従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、 あなたがたも、 聖でなければならない」と書いてあるからです。

今、この時代に悪の津波が訪れているように思える。イスラエルに対しても、教会に対しても。ですが、私たちが神様の教えを通してそれに立ち向かうことが出来る。そして、主は突然宮に来られる。

<マラキ3:2>
だれが、 この方の来られる日に耐えられよう。 
だれが、 この方の現れるとき立っていられよう。 
まことに、 この方は、 精錬する者の火、 
布をさらす者の灰汁のようだ。
イザヤ6章
ウジヤ王が死んだ年に、 私は、 高くあげられた王座に座しておられる主を見た。 そのすそは神殿に満ち、
セラフィムがその上に立っていた。 彼らはそれぞれ六つの翼があり、 おのおのその二つで顔をおおい、 二つで両足をおおい、 二つで飛んでおり、
互いに呼びかわして言っていた。 
「聖なる、 聖なる、 聖なる、 万軍の【主】。 
その栄光は全地に満つ。 」
その叫ぶ者の声のために、 敷居の基はゆるぎ、 宮は煙で満たされた。
そこで、 私は言った。 
「ああ。 私は、 もうだめだ。 
私はくちびるの汚れた者で、 
くちびるの汚れた民の間に住んでいる。 
しかも万軍の【主】である王を、 
この目で見たのだから。 」
すると、 私のもとに、 セラフィムのひとりが飛んで来たが、 その手には、 祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
彼は、 私の口に触れて言った。 
「見よ。 これがあなたのくちびるに触れたので、 
あなたの不義は取り去られ、 
あなたの罪も贖われた。 」
私は、 「だれを遣わそう。 だれが、 われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、 言った。 「ここに、 私がおります。 私を遣わしてください。 」
すると仰せられた。 
「行って、 この民に言え。 
『聞き続けよ。 だが悟るな。 
見続けよ。 だが知るな。 』 
この民の心を肥え鈍らせ、 
その耳を遠くし、 その目を堅く閉ざせ。 
自分の目で見ず、 自分の耳で聞かず、 
自分の心で悟らず、 
立ち返っていやされることのないように。 」
私が「主よ、 いつまでですか」と言うと、 主は仰せられた。 
「町々は荒れ果てて、 住む者がなく、
家々も人がいなくなり、 
土地も滅んで荒れ果て、
【主】が人を遠くに移し、 
そこにはなお、 十分の一が残るが、 
それもまた、 焼き払われる。 
テレビンの木や樫の木が
切り倒されるときのように。 
しかし、 その中に切り株がある。 
聖なるすえこそ、 その切り株。 」

これに対して、イザヤは「私は唇の汚れたもので、唇の汚れた民の中に住んでいる。しかも、神を直接見たのだから」と言った。

神様のきよさをここでイザヤに表した。そしてイザヤにここでご自身の栄光を現された。主の栄光は素晴らしすぎて、セラフィムでさえも圧倒されている。どんな人も主を見ることも触れることすらも出来ない。火ばさみを持って祭壇の炭を持ってきたほど。

<詩篇113:5-6>
だれが、 われらの神、 【主】のようであろうか。 
主は高い御位に座し、
身を低くして天と地をご覧になる。

ヨハネも黙示録で神を見た時、倒れて死人のようになった。イエス様は私たちを救う方だが、あまりにもきよくて私たちはその前に立ち仰せない。神様は世界に何よりをも高く、世界の何も神様を支配することは出来ません。

神様はすべての者の上に座される方。聖書が「きよい」というのは、私たちと全く違う次元のもの。きよさとは神様の中に影がない。神様は汚れることが出来ないということを表している。誰も神に罪を犯させることは出来ない。

私たちへのきよさの召しとは、私たちが完全になること。私たちがきよいように、あなたがたもきよくなりなさい。私たちは主のきよさに触れて、完全に地にひれ伏す必要がある。

きよさを得るためにあらゆる努力をしなさい。だれもきよくなければ主を見ることが出来ない。

私たちは主を見るために作られた。豪邸に住むことが出来るかもしれないが、私は主ご自身が欲しい。

全ての罪は死に値する。罪の報酬は死。でも、主は私たちに恵みによって永遠の命を与えて下さる。

自分は救われてると思うだろう。でも、心でも頭でも罪に関することを考え、行ったのであれば、意味が無い。

神の願いは私たちがきよくなること。

ここにいる人は神を愛し、神の栄光の中に留まりたいと思っている人々。主はモーセにきよくなければわたしをみることは出来ない。イエス様も山上の垂訓でこころのきよいものは幸いです。と言われた。

聖書を見ると、神様に一つだけニーズが有るというのが分かる。それは罪。それは全全できていないこと。きよさを持たずに神に近づくとはどういくことか

2013年にスペースシャトルのコロンビアが帰還する時の事を思い出す。地球突入の温度はものすごく高い。しかし、大気圏突入の時、左の翼にあった小さなキズからはじまってシャトル全体を壊してしまった。

生ける神がもう一度この地上に来られる時に、どうなるか。

イエス様はきよい神。

地球はどうなるでしょうか。

黙示録には、王たちは主の御顔から隠れるための場所が必要だという。これは軽く言ってはいけないこと。

イザヤの言葉があった。災いです。わたしは汚れた場所です。イザヤには隠れる場所がなかった。私は唇の汚れた民の中に住むものだ。唇の汚れたとは、心から出てくる。新約聖書にそれが書かれている。

ちいさなけがれも、それがきっかけとして悪いものが全て出てきてしまう。しかし、主のきよさに関してもう一つの別の要素がある。

主はイザヤを絶望の中に取り残されなかった。セラフィムが燃える炭火を取って口に触れた。これは心に触れられたと同じなこと。

汚れ他人が偉大な預言者となった瞬間。それはイザヤ53章を見れば分かる。この火はイエス様ご自身を示している。モーセも神の後ろ姿しか見えなかった。イエス様の打ち傷によって全ての罪・咎は癒やされた。

イスラエルの民は心のなかが汚れていたので何度も失敗した。神が許してくださるまで何度も失敗したが、神は預言者を送り啓示を与えて下さった。それ以上に希望は無かった。

全てのフォーカスはイエス様にある。

イエス様がよみられたあと、弟子たちに現れた。その中にトマスという疑い深い人がいた。トマスは他の弟子たちと一緒にいなかった。他の弟子たちが何度説明してもその事を信じなかった。イエス様の釘の跡を見るまでは信じないといった。

8日後にトマスも他の弟子たちと一緒にいた時、イエス様が現れた。イエス様はシャローム!と言ってくださった。そして、手を傷に通してみよと言った。それでトマスは信じた。

その告白は「災だ」と言う意味と同じ。この箇所はイザヤ53の突き刺したと同じ意味。本当に致命的な傷を負わせるというのがヘブル語の意味。しかし、この言葉に別の意味がある。きよいものを汚れたものにしてしまうという意味がある。

ここに私たちの唯一の希望がある。汚れた指がきよい神の中に突き刺される。これがトマスのしていたこと。きよい神が私たちの汚れた部分をきよめて下さる。これが主の十字架。これこそが私たちの礼拝の理由。

きよい神に本当に必要だということができる。きよい神の中に私たちのすべての罪・咎が取り除かれる。十字架は地上で怒った最もむごたらしいことだという人がいる。これこそが十字架こそがきよさの答え。

きよさのそなえ。きよさは十字架からくる。全ての主を信じる人は救われている。しかし、きよめられていく過程にある。ヘブル書にかかれている努力してきよめられよというのはこう言う意味から書かれている。

なんとか努力してきよいイエス様の中に入っていく。これこそが戦い。その事をあまり好きでないかもしれない。私たちは神の祝福、栄光、富は欲しい。しかし、けがれをとりさる栄光は欲しくないという人がいる。

狭い門から入らなければならない。汚れた人から出てきて、分離せよと主は言われる。この世から生ける神の力によって聖別されなさいということ。私たちはある程度人によって違うが神の恵みときよめを経験している。

私たちが思っている以上に神様が興味を持っているのは、神様と出会う準備をしているということ。

2コリント6:15の中でパウロが言っている。
キリストとベリアルとに、 何の調和があるでしょう。 信者と不信者とに、 何のかかわりがあるでしょう。

私たちは福音の恵みの中にあるから、きよめは必要ないというかもしれない。しかし、この事は本当に重要なこと。

キリストに仕えるだけでなく、他の偶像に仕えるなら、神の前に断つことは出来ない。

新約聖書を読む時、人によってけがされるのではなく、けがれは自分自身の中にあることに気付かされた。

私たちが召されているのは、自分自身を汚れから遠ざけること。

自分自身の信仰ではなく、主を信じる信仰が大切。

パウロは全てのけがれからきよめられて、主を恐れていきましょう。

ある人がきよさについて書きました。

私たちは主の栄光から、臨在から遠く離れている。と。

イエス様が戻って来られます。

この地において王の王、主の主として栄光を現し、全ての裁きをなし、けがれを取り除くため。

私たちは彼の中に栄光の中に一つとしてそれを見ることができる。私たちはそれを傍観するのではなく、主のようになることができる。

私たちの体が主の栄光に変えられる。

もはや死を見ることがない。

なぜ主はそうしてくださるのか。

死に続ける人間を救うのは意味が無いから。

救われた人々はすべてがきよめれられ、永遠に生きていかなかければならない。

全ての罪は主イエス・キリストの十字架によって全て洗い流される。

主の栄光は大気圏を突入するスペースシャトルに似ている。

ものすごいプレッシャーがかかる。

<1ヨハネ3:2,3>
愛する者たち。 私たちは、 今すでに神の子どもです。 後の状態はまだ明らかにされていません。 しかし、 キリストが現れたなら、 私たちはキリストに似た者となることがわかっています。 なぜならそのとき、 私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

先ほど目を覚ましているべきだという箇所を見た。

聖霊の働きによる聖化に私たちも協力しなければならない。

多くの人は混乱している。

<ピリピ2:12>
そういうわけですから、 愛する人たち、 いつも従順であったように、 私がいるときだけでなく、 私のいない今はなおさら、 恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。

の努力してきよめられるという箇所を見る時混乱するかもしれない。

聖霊様はきよめてくださるが、私たちは願いを持ってそれに同意して協力しなければならない。

これは見た目のことではなく、内面の事。きよさです。

最後のヒゼキヤによってきよめられたこと。父アハブは神殿を怪我した。今、教会が偶像で満たされるという事は考えられないかもしれない。ヒゼキヤは神殿のドアを開いた。それはみことばを開くということ。人々を楽しませるのではなく、みことばを楽しむ。

パウロは人を通して使徒となったのではなく、私はキリストの啓示によって使徒となったと言った。

今こそきよい神のみことばを通して教会に戻る時。

インターネットを見て、これは間違っていると言ったり、いい音楽をやっているということは関係ない。

主と顔と顔を合わせて個人的な関わりを持って行きましょう。

五役者たたちが、まずきよめられるように。再献身が必要。リバイバルは教会の中から来る。

主がイスラエルに戻ってこられる前、主の家に帰られる。主の家は祈りの家。主のイスラエルの祈りの家に来られる。

主の宮の中に商品、いつわりのおしえ、ねたみ、肉の全てのものは教会から捨て去らなければならない。

罪を無視するのはやめよう。

肉に妥協するのはやめよう。

自我を神の王座に置くのはやめよう。

主の永遠にかかわることだけを見つめよう。

今、持っているどれだけのものが主の火によって焼きつくされるかわからない。

でも、主だけが残されていくように。

主は戸の外に立って「入れてくれ」と言われる。

これは教会に対して語られている。

メサイヤと共に砕かれた体をもって聖餐をする。

<黙示録1:6>
また、 私たちを王国とし、 ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。 キリストに栄光と力とが、 とこしえにあるように。 アーメン。

全地は主の栄光で覆われる。この事をなされるのは主のみ。みことばが燃え上がるほどあなたにとってリアルとなりますように。

主は今、きよめておられる。

主は御座に座っておられ、そこからこの言葉をもって皆さんを祝福してくださっています。

アーメン。

以上がオファー・アミタイ師のメッセージです。
イスラエルに来るために多くの犠牲を支払いました。
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