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黙示録セミナーセッション5(全7セッション)

このノートは、2015年1月20日(火曜日)から23日(金曜日)に新宿シャローム教会、レーマ聖書学院で開催された韓国からの講師、李ゼハ先生の黙示録セミナーの講義ノートに、私が加筆・補足したものです。

黙示録、特に携挙に関しては様々な教えと立場があります。今回は新宿シャローム教会に李ゼハ先生をお招きしましたが、この教えは李ゼハ先生の考える立場から話されています。ぜひ、それぞれが内容を吟味して受け取ってください。それぞれの所属している教会で黙示録に関する考え方、立場があると思いますので、疑問に思うところは所属教会の牧師先生に相談し、所属教会の牧師先生のご意見に従っていただけたらと思います。

今回は「神様の聖所」、「神様の神殿」に関して学んで行きたいと思います。
これは黙示録の中に神様の御心が現されている所なのです。

前に、ダビデの幕屋と黙示録の関係を話したと思います。
皆さんに知っていただきたいのは、黙示録のすべての中に礼拝者が出てくるということです。

■ 大患難に関して

大患難をどう理解すればいいのでしょうか。
大患難とは、一体何なのでしょうか。
その前半と後半に関して見て行きましょう。
なぜ私が患難前携挙ではなく中説を取るかという理由を述べたいと思います。

■ 火に関して

火が天から落ちてくるという情景が黙示録には描かれています。
これは象徴的な出来事ではなく、本物の火と取ります。
原子爆弾のようなものでなく、本当に火の塊が落ちてくると考えます。
ソドムとゴモラに落ちてきたような本物の火が落ちてくるのです。
ソドムとゴモラの時代には核爆弾というものはなかったでしょう。
であれば、このことと同じような事が起こるとかんがえるのも不自然ではないと思います。

聖書の中では、人間の罪が極限まで達すると、神様の怒りがくだり、被造物を破壊するというものが何度か見られます。
そのときが来たら主は火で裁かれることをされます。
神様は、人が罪の最後の部分まで満ちたままでは放っておかれないお方です。

また、礼拝は戦争であるとも言えるでしょう。
実は、サタンが一番嫌うのは主への礼拝です。
もし、あなたがサタンの攻撃が嫌なのであれば、今すぐ礼拝をやめればいいでしょう。
しかし、実際はやめるわけには行かないのです。
戦場は歌舞伎町ではなく、礼拝の場所です。
吠え猛る獅子が私たちを食い尽くそうと探していることを忘れてはいけません。

黙示録の中で、「みことばを食べる」というものが出てきます。
みことばを食べるとは、100回もその上も何回もみことばを読み続けるということです。
それを繰り返し続けるなら、預言することができると黙示録は語っています。

■ 荒野とは

それでは、荒野とははどこでしょうか。
荒野を知るには、まず都市を知らないといけません。
聖書の中では都市はどこで造られたのでしょうか。
それはバビロンです。
これこそが大淫婦です。
すなわち悪魔の居場所です。
言い換えるなら、悪魔の臨在がある場所です。

エルサレムに神様がおられるのと同じように、バビロンには悪魔が住んでいるのです。
そこでは悪魔の支配を受けます。
なぜなら、悪魔がそこの支配者だからです。
サタンが望むとおりに動きを取らなければならないのです。
それがバビロンというところです。
それは統治のしやすさのために造られた街です。

もし、高層ビルに人を入れれば、入り口に警官を二人置くだけでその中のすべてを管理できるでしょう。
つまり、巨大な都市は巨大な刑務所となり得るのです。
終わりの時の聖徒たちはそこから脱出しなければいけません。
「聖徒よ、出てきなさい」と主は言われます。

それでは、どこから出てくるのでしょうか。
そうです。
バビロンからです。
新宿もソウルもニューヨークもロンドンもバビロンということができるでしょう。
すべての巨大都市がサタンの望んでいるバベルの塔になることができるのです。
なぜなら、そこには人間の欲望、傲慢さが満ちているからです。
人間が最高、お金が最高というものがはっきりと見えるでしょう。

バビロンを変えなさいと聖書は言っていないことに注目しなければなりません。
そこから出てこいと言われているのです。

主はイスラエルの民に対して、エジプトを変えろと言われたのでしょうか、それとも出てこいと言われたのでしょうか。

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