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黙示録セミナーセッション4(全7セッション)

このノートは、2015年1月20日(火曜日)から23日(金曜日)に新宿シャローム教会、レーマ聖書学院で開催された韓国からの講師、李ゼハ先生の黙示録セミナーの講義ノートに、私が加筆・補足したものです。
黙示録、特に携挙に関しては様々な教えと立場があります。今回は新宿シャローム教会に李ゼハ先生をお招きしましたが、この教えは李ゼハ先生の考える立場から話されています。ぜひ、それぞれが内容を吟味して受け取ってください。それぞれの所属している教会で黙示録に関する考え方、立場があると思いますので、疑問に思うところは所属教会の牧師先生に相談し、所属教会の牧師先生のご意見に従っていただけたらと思います。

黙示録は下記のような特徴があります。
・啓示の書物
・聖殿(韓国での書き方)=聖所(日本での書き方)
・黙示録の中には聖所が啓示されている。
・礼拝の書

<黙示録 15章 8節>
聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、 七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、 だれもその聖所に、 入ることができなかった。

この聖所は天の聖所です。
天の礼拝と地の礼拝が一つとなるのです。
天の聖所とは神と天使、信仰の先輩がいる場所のことです。
私たちも御国に行けばそこに加わります。
すなわち、天の御国は礼拝の共同体とも言えます。
そこでは永遠に礼拝が捧げられます。
永遠に礼拝を捧げてもその感動は薄れることはないのです。
だからこそそこは天国なのです。

■ 雅歌での愛

人の持っている魅力は時とともになくなっていくでしょう。
しかし、神は永遠に慕い求めても、その魅力は増すばかりです。
これを理解できないなら雅歌も理解できません。
雅歌の愛の言葉は大げさなのでしょうか。
それはまったく大げさでないと思います。

雅歌では愛するがゆえに病気になったと書かれています。
それは、会いたくってたまらないということです。
主に会いたくて体中が痛むほどに主を愛してる状態のことです。
それほど主を愛するものにとっては24時間は足りないでしょう。
礼拝ができるなら眠らなくっていい。
食事も取らなくっていい。
雅歌に書かれている愛は、そういう状態の事を表現しています。

天の御国ではティーチングも伝道もありません。
そこではひたすら礼拝があるのみです。
礼拝を捧げるのがつまらないと思うのは神を知らないからです。

雅歌の中で神様との愛の関係を恋人通しの会話で表現したのには意味があります。
聖書に書かれてあるのに、それは俗的な表現なのでしょうか。
人とモノ、人とペットの関係よりも、異性との関係のほうが強いはずです。
愛は死よりも強いと言われます。
なぜなら、すべての人は死を前にしてひれ伏すしかないからです。
しかし、その死と同等な力を持ったものが愛です。
愛は死よりも強いものなのです。
そのような強烈な愛の関係があるのが天の御国です。

先のみ言葉は天の聖所のことです。
そこには煙が満ちています。
神の臨在されるときに雲が現れます。
ここに主の力強い臨在があるなら、煙が分かるはずです。

■ 礼拝者・賛美者

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