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異性同士は分かり合えないのか

こんにちは、しゅんです。
今回は少しセンセーショナルなタイトルで記事を書き始めました。
ちょっと先日そう言ったことを感じる事例があったので、そう言った分断んを生んでしまう発言をしてしまう可能性について自戒も込めて丁寧に考えてみたいと思います。
特段どちらかのことを責めたいわけではないし、女性または男性のことを殊更守ろうなどというおこがましいことを言いたいわけでもありません。

事例

※これは事実の中にフィクションを若干混ぜて書いております。

ある20代女性が転職したい旨を相談してくれていました。
「なかなか自分に合う会社が見つからず、転職活動が辛い」
まぁそういうこともあるよね〜。と話を合わせていたところその場にいた男性が「結婚すればいいんじゃない?」と発言。
(うわ〜こいつ言ったわ〜・・・)と思いつつ、話していた女性の顔つきも引きつっていたので自分が「そういう発言はまずいよ〜」と諫める形で、その場の空気をなだめていく方向へ。
男性側は自分の発言がなぜ良くないのか不思議な顔をしていたため、このことについて40分ほど対話をしていく方向へ・・・。

「結婚すればいいんじゃない?」がよくなさそうだというのは多くの人が感じてくれるのではないかと思うのですが、これをもう少し噛み砕いて考えていきたいと思います。

付随してしまうネガティブなイメージ

これは男性側にはそう言う意図がなかったことが、その後の対話の中で分かりましたが、「転職活動が辛いなら、結婚して専業主婦になればいいのではないか?」というニュアンスを感じてしまう人が少なからずいると思います。

これは発言する男性が意図するしないに関わらず、今まで私たちが生きてきた社会や環境、文化の中で培っていたものが形成するイメージなので、発言した男性の意図に関わらずそういうメッセージを感じてしまうものなのではないかと思います。

上述の事例で考えるとこれは女性が「働きたい」と考えている意向を無視して、お前はこうすればいいという一種の押しつけのような印象を与えてしまいます。ここは結構気持ち悪い。

さらになぜこう言ったネガティブなイメージが付随してしまうのかと言う点について、もう少し考察すると、我々が小さい頃から男女共に性別的な役割を押し付けられて生きていることに原因があるのではないかと思います。

「男の子なんだから泣くな」「女の子なんだからお料理くらいできなきゃね」

性別関係ないやんと思うことも多いですが、こういうことは日常的にありふれています。もちろん男性にも全くないとは言いませんが、女性は多くの日常の中で「女性として理想像」を押し付けられることも多いです。

「女子力高い(低い)」「専業主婦になればいい」「出産育児で休むでしょ?」

その人が本来のやりたいことやキャリアなどに関わるところまでそういったイメージに侵されているのだと思います。

一方で男性は男らしくしろだとか、お金を稼ごうとか精神的社会的自立を求められます。これがプレッシャーになることや自分の思いとかけ離れてしまうことが往々にしてあるかと思いますが、社会で活躍したいと志向した時に性別がネガティブに働く状況は比較的少ないと思われます。

育児をしていない男性社長はバッシングされないが、忙しくしている女性社長には「子どもがかわいそう」みたいなクソリプが飛んでくることにイメージが近いと思います。

お前が言うな

さてここまで考察した上で先程の事例の問題点に立ち返ってみると、男性が女性に「結婚すればいいじゃん」と言うことに問題があると思われます。

男性は結婚する際に多くの場合姓が変わらないし、働き方も変わりません。子どもが生まれたとしても育休を取らない(人が多い)。結婚してもほとんど何も困らないある意味で特権的な階級の人間になってしまっているのです。

一方で女性は入籍後姓が変わったら、各種手続きをしなくてはならないし、キャリアがそれだけで途切れることもあります。
(研究者などは研究実績が姓が変わることでデータベース上で紐付けできず途切れてしまうので旧姓でやることも多いと聞きました。)
また出産育児は命がけで行うものです。産休・育休は取らざるを得ませんし、その間もキャリアが途切れてしまったり、昇進しにくくなることも多いです。

このように結婚や出産という意思決定をすることがどれだけその人にとって大きいのことなのかと言う点でスタートラインが違う人間が安易にその解決策を提案してしまうことは分断を生んでしまう大きな原因になるのではないかと思います。

女性同士で考えたり男性同士で話すならまだしも(まぁそれも本人が結婚したいかどうかが分からないので、かなりセンシティブですが)男性が女性に結婚をすればいいという発言をすること自体に特権階級からの差別的な発言に聞こえてしまう要素が含まれているのです。

逆に考えてみると

逆に考えることもできるかもしれません。

※完全なフィクションです
自分の好きなことをやって働いている20代男性。年収は300万弱程度。現在生活するのには困っていないし、貯金もできている。
その状況で女性から「へ〜それくらいの給料でも生活できるんだね」と言われる。

これは先程の事例で考えると、別に本人が求めていないのに給与が高いことを社会から求められているわけです。

そう言うことを加味すると女性の発言が暗に「男のくせにそんな低い給料で生活できるんだね」というニュアンスがでてしまいます。(こちらフィクションなのでかなり極端な事例であることを御了承ください)

その人がやりたいことができていて、生活に困っていないのであれば給与がいくらかは関係ないのではと思います。もちろん必要に応じてお金がかかることはあるので高くなることは重要なことかもしれませんが、それに伴う業務の変更や責任の増加を必ず万人が受け入れたいかと言うとそんなことはないはずです。

要するに

結局ここまできて感じたのは、お互いざっくりとしたイメージで話をしてしまうと上記のような齟齬が起こるのではないかと言うことでした。

性別や肩書きがどうこうではなく目の前の相手を1人の個人として尊重し、相手の思いに寄り添う対話をしていきたいですね。

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