見出し画像

家事分担は決めず、すべてに「ありがとう」を言い続けたら、自分も家事ができるようになった

私たち夫婦について、小さな自慢がある。
それは、家事の分担で揉めたことがないこと。

どちらかというと夫はマメな性格で、私は生来の面倒くさがり且つ気が利かないため、何も考えずに生活していたら夫に家事負担が寄りすぎる。

しかし役割を決めると、できない時はそれが「怠慢」になってしまう。どちらかが怠けたら不満が生じ、喧嘩になる。
夫は、家事はそこまでしてやるもんじゃないし、私に求めないと言う。
そんなくらいならアウトソースしよう、ごはんは作れなくても買える経済力を持つことを優先しようと言った。

私は当初、ありがたくその状況を享受していた。
ありがたすぎて、夫がしてくれる全てに「ありがとう」を言った。

ごはんを研いでくれたら「ありがとう」。
ごはんをよそってくれたら「ありがとう」。
部屋に掃除機をかけてくれたら「ありがとう」。
洗濯機を回してくれたら「ありがとう」。
洗濯物を畳んでくれたら「ありがとう」。
ゴミをまとめてくれたら「ありがとう」。
ゴミを捨てに行ってくれたら「ありがとう」。

そうしていたら、まさかの自分も(ある程度は)家事を自主的にやるようになった。

どうやら、「ありがとう」を言い続けると、その都度「やってもらったことは当たり前ではない」と確認することになるようだ。
言葉に出さない時と比べて「相手が何をやってくれたか」と「感謝の気持ち」に実感が生まれる。そうすると「いま何をしたらいいか」に気づけるようになる。そうして自主的に動くとき、家事は「ただ面倒くさいもの」ではなくなる。

言語化するとあまりにも簡単なことで、自分でも他人からこれを言われたら本当か?と思う気がする。
でも、実の親にすら諦められていたズボラ女だった私が、今はちゃんと動ける方が気持ちいいと知っていて、(ある程度は)自主的に動くようになった。「ありがとう」を受け取ると、小さな達成感もあることを知っているから。

夫も、私が何かをすると必ず「ありがとう」を言ってくれる。

ごはんを食べる前のいただきますと食べた後のごちそうさまの後に、「作ってくれてありがとう」を言う習慣があるって、なかなか悪くないと思う。
この習慣は子どもにも自然と身につくといいなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?