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key word1 『井の中の蛙大海を知らず』のつづき

”あの人は井の中の蛙だ”

言わずと知れた『井の中の蛙大海を知らず』

見識が狭く、広い世界があることを知らないという意味で使われる。この言葉は人を褒め称えるような性質からは程遠く、他者をディスるような口調で耳にする機会が多いのではないだろうか。

だが、実はこの言葉には

”井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る”

という進化系がある。というのを以前

https://note.com/shun6205/n/n3e1df3988c43

で取り上げたKさんに教えてもらった。

この言葉を耳にした時、私の頭の上にタライが落ちてきたような驚きと痛みが響き渡った。

空の青さ

すなわちそれは天の深さ。カエルは狭い狭い井の中で天の深さを感じていた。そんなカエルを井の外にいる他の動物たちは哀れな目で見ているんだろう。”外に出られないなんて可哀想なカエル”。カエルを尊敬の眼差しで見ている動物は一体どれほどいただろう。

そんなことを考えたときに国家公務員時代の自分を思い出した。定年まで”安定”にすがってのらりと過ごす生活環境にいる人々を”井の中の蛙な大人たちだ”と心の中でディスり哀れんでいた自分を。今思い返せばそんな人たちが心の内に宿す仕事人としてのスピリットアイデンティティに対する尊敬の眼差しは無かった。というか打ち殺していた。私は外にある自己表現の世界に啓蒙し、そしてその世界があることを知っていた気になっていた。だけど狭い社会の中でも家庭を築くこと狭さの中での探究を楽しむという豊かさが確かにそこにはあった。

その人たちは知らず知らずのうちに天の深さを悟っていた。

そう思うと

本当に井の中の蛙だったのは自分自身だった

と降ってきたタライに頭じゃなくて胸を痛めた自分がいた。

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『言葉との出会い』

自分の胸に響いた言葉をメモがてら記事にしてみる。そしたらこの記事が誰かの胸に響くのかもしれない。そんな共鳴の連鎖反応を試みて投稿していきます。

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