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HSPの僕が電車の遅延にも大して動じなくなった理由

HSP(Highly Sensitive Person:ひといちばい敏感な人)の特徴の一つとして「急な予定変更が苦手」というものがあります。この項目はHSPに関する本でも多く取り上げられている特性です。

友達のドタキャンとか、いろんな「予定変更」がありますが、僕がよく遭遇する予定変更がズバリ「電車の遅延」です。僕は運転免許の類を一切持っていないので必然的に公共交通機関に依存する生活を送っています。しかも職場までは片道1時間以上の電車通勤なので、こと「電車の遅延」に関してはかなり敏感です。

私たちは、心のどこかで「本来、電車は時間通りに走っていなければならない」と思っている節があると思います。もしも電車が遅れたり途中で止まったことによって、たとえば指定席のチケットを持っていた新幹線に乗れなかったとアクシデントが起こるとテンパってしまう人も多いはずです。

しかし、僕はよっぽどのことがない限りは、大してこういう状況で「え、どうしようどうしよう」と混乱することがありません。今週の水曜日、京都駅で電車を乗り換えようとしたら信号故障による遅延で客が殺到し、入場規制がかかっていた通路から動けなくなったときもそうです。

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列が1mmも動かないので、急きょ列を逆走し地下通路へ迂回して(びっくりするほど空いてた)ホームへたどり着くも、どこのテーマパーク?というレベルで来る電車来る電車に客が殺到してそもそも電車に乗れない。しかも僕はこの1時間後には授業を進めないといけない(これは後で勘違いだったことが発覚したのですが)。割と1分1秒を争うような事態です。

さあ、どうする?

結論から書けば、京都駅から自分が乗る方向とは逆に1駅移動して(びっくりするほど空いてた)、その駅から折り返して職場方面へ向かう電車に乗る作戦に出ました。まあこの折り返した電車も別の踏切トラブルに引っかかって20分ぐらいドアも開かず缶詰食らったんですが、それでもなんとか職場には着けたのでよしとします。結果的に定時より1時間遅れの出勤でした。

HSPでもある僕が交通事情のトラブルに巻き込まれたとき、何よりも大事にしているのが「どうすれば状況が好転するか」を冷静に考えることです。

たとえば今回の京都駅の一件では、僕は乗る方向と逆に1駅移動した時点で、それまで最優先にしていた「最速で職場に向かう」ことを完全に放棄し、「混乱状態の京都駅からいち早く脱出する」ことを最優先に切り替えていました。待っててもよかったのですがおそらく乗り換えの車中は押し潰されるだろうし、かといってこのまま1mmも動かない列で待つのも得策ではない。であれば、どういう形であれ「いったん京都駅から離れるべき」という結論に達したのです。で、ちょうど逆方向の電車がやけに空いていることに気がついて、「これだ!」と思い、わざと1駅遠ざかってから折り返した、ということです。ちなみにこの作戦は「混雑回避」の点では大成功でした。

こういうときに駅員に怒鳴りつける客もいます。ただそれは自分のストレスをただただ駅員に浴びせてるだけなので、それをしたからといっていきなり電車が定刻通りに走り出すわけでもない。つまり、何も状況が好転していないわけです。

同様に、こういう状況で「どうしよう・・・」とパニックに陥っても、別に何かが変わるわけでもなくて、今のこの状態を総合的に判断して、とどまるべきなのか何かしらの手段で先へ進むのか、冷静に結論を出せないとなかなか動けません。交通事情でバスが遅れて予定の電車に乗れなかった。そんなときは予定の10分遅れで行動するのか、別のルートを使って時間を短縮するのか。考えてみると、こういう時の手段ってけっこう出てくるんです。

昨年、よりによって通勤途中に乗っていた電車がとある駅のホームで人身事故を起こしたことがありました。このときも僕は乗った電車が事故を起こしたことをまず職場に連絡し(電話をとった同僚が引くほど冷静に)、そのうえで一番後ろの車両にいた車掌に「とりあえずこの駅で降りれるようにできないか」お願いしました。すると事故発生から15分くらいで降ろしてもらえることになり、しかもたまたま事故のあった駅が親戚宅の最寄駅だったこともあったのでその親戚宅でしばらく待たせてもらい、最後はその親戚に職場まで送ってもらえたのです。

確かにサイレンの音とか、ホームに置かれていた担架とか、敏感に受け取ってしまうシチュエーションはいくらでもありました。何より「乗った電車が人をひいた」という事実が一番心をざわつかせていて、この日は退勤後同僚に無理を言って帰りの電車にいっしょに乗ってもらったほどです。

しかし「出勤する」という名目で考えると、めっちゃくちゃ冷静に対処しようとしている自分がそこにいました。それは「この状況をどう好転させるか」、それだけをただただ考え続けたことに尽きると思います。これがたとえ親戚宅の最寄り駅じゃないところで起こっていても、確実に改札を出てそのへんのカフェに入り、コーヒーで一息ついてから次の一手を考えていた自信があります。または一駅分くらいは歩いてたかもな。

こうした交通事情に限らず、急な予定変更に関してパニックになる気持ちもわかります。しかし冷静に「どういう選択肢があるか」「どうすれば先に進めるのか」を考えると、そのパニックもまた違ったものに見えてくるかもしれません。

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