大喰いこそ男の浪漫なり(3ー1)

僕は年齢の割には良く食べる方と言われます。
でも寄る年波には抗うことは出来ず、医者の勧めもあり、
腹八分を心掛けようと必死に取り組んでいます。
そんな僕でも頭の中の自分はまだ若く、大盛りのどんぶり飯を
ガツガツと食べる夢を見ることがありますが、
実際は、牛丼屋で大盛りをためらった時のプライド崩壊、
焼肉で締めにライスが食べたくても入らない時に湧き上がる諦めの境地、
おにぎりを三個買ったのに、一個残しで満腹になった時の敗北感など、
思いきり食べられた若き日を引きずりながらも、現実の寒風に
さらされています。

さて今回は、僕が出会った大食漢の人たちの話しです。
大食い選手権的なことではなく、幸せそうにたくさん食べた
英雄たちの話しです。
全3回の1回目


1.深夜の牛丼屋に男を見た

それは45年くらい前。
今はすっかり体の大きい萎れぎみの高齢者となった僕が大学生の頃。
先輩の紹介で映像の制作会社にバイトに行きました。

その頃の映像制作の現場では徹夜は当たり前、
10時開始28時終了なん勤務が当たり前にまかり通っていました。
そんな徹夜作業の中、夜中になると交替で夜食を食べに行くのです。
それが緊張の連続の中で唯一の癒やしとやすらぎの時間でした。

その当時、夜中にやっているお店なんて、ラーメン屋、立ち食い蕎麦、
そしてようやく市民権が得られた牛丼屋の三者択一くらいしかありません。牛丼屋でいつも通り大盛牛丼をオーダーし「今日は肉だぜ、肉!」と
ウキウキしながら出来あがりを待っていた時でした。。

「いらっしゃいませ」の声とともに入ってきたのは年の頃なら40代後半。
背は大きくありませんがガッチリした体格でヘルメットを被るという、
一目で土木現場で働いてると分かる人でした。

その人は席に座るとさらっと「牛丼大盛りとライス」とひと言。
徹夜続きのボーっとした頭だったからか、そのオーダーの不自然さに
??と疑問を抱くこともなかったのですが、おじさんの前に運ばれてきた
大盛牛丼と並ライスを見て、暗がりで幽霊に出会ってしまった時のように
目は全開となり、自分の前に出された牛丼の存在も忘れて、おじさんに
釘付けになりました。

するとおじさんはおもむろに箸を取り、大盛牛丼の肉をライスに
乗せていきます。
何が起きているのか?
瞬きもせずガン見する小僧の視線など全く気にすることもなく、
おじさんは丁寧に牛丼の肉をライスに載せ替えていきます。

そして作業を終えると、肉が取り払われ、汁がかかっただけの大ライスに
なってしまった牛丼に紅生姜をタップリと乗せ、スッと軽く息を吸ったかと
思うと、漫画ではよく見る「ワシワシ」という擬音を何個も周辺に
浮かばせて、まことに気持ち良い食べっぷりで「牛丼の汁がけライスに
紅生姜乗せドンブリ」を一気に平らげたのです。

自分の牛丼に手をつけるのも忘れ、おじさんの見事な食べっぷりに見とれる
僕の喉が緊張から「ゴクリ」と鳴った瞬間、おじさんはその左に鎮座する
「並ライスに煮込んだ肉乗せドンブリ」に手を伸ばし、また一気に幾つもの「ワシワシ」を空中に漂わせながら一気に平らげフゥとため息ひとつ。
そして立ち上がると大盛牛丼と並ライスの代金をカウンターに置き
「ごちそうさん」と肩で風を切りながら深夜の町に消えていったのです。

それは、ほんの数分のドラマでした。
我に帰ると、僕の手の中には冷めたくなった大盛り牛丼が。

現世に戻った僕は、憧れの思いを胸に冷たくなった牛丼を勢いよく
かっこみながら、生き方に自信を持つ男だけが持つ大人の潔さも噛みしめて
いました。

子どもにとって、初めて見る働く大人の姿はたくましく見えるもの。
小さな瞳に映る地下鉄の車掌さんや、大工さん、トラックの運転手さんに
憧れをもった人も多いかと思います。
このヘルメットおじさんの大盛牛丼&並ライスの超絶一気喰いは、社会を
覗いただけの小僧が浴びた、社会からの強烈先制パンチだったのです。

良く食べる方だとか、腹八分とか、ご飯を半分にとか、
ひ弱な高齢者がほざいていますが、きっとあのおじさんは、
おじいさんになった今も、大ライスをワシワシとかっこんでいると
信じています。
そして「この頃、食えなくなったなぁ」とひとり言を呟いてたら
どんなにか素晴らしいことでしょう。
男はやっぱり米をガンガン食って一人前になる。
そんなおとぎ話はまだ男の心の中で生き続けているのです。

始めて「本物の働く男」に触れた高揚感と大盛牛丼とライス。
忘れられない1シーンです。


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