忘れじの二丁目のマドンナ

♬化粧の後の鏡の前で、いつもあなたの手を借りた♬ 
高齢者という線引きをされた方はほとんどの人が知っている
布施明さんが唄った「そっとおやすみ」の冒頭のフレーズです。
昭和45年(1970年)の曲ですから、もう52年も前の曲なんですね。

多分、今から37,8年前くらいでしょうか。
遊び盛りのボクはよく二丁目に呑みに行っていました。
二丁目の前に“新宿”という地名が付く二丁目です。

二丁目と言うのはどこにでもある普通の地番ですが、その前に“新宿”の
二文字がつくと、突如、町は特別な意味を持ちます。
その町は、今では多くのタレントの人たちを筆頭に、様々な分野で活躍する方々の多大なる努力によって市民権を得た“おかま”の聖地であり、
その系統のスナックやバーが密集するゾーンが燦然と輝くエリアなのです。

今でももちろん聖地ですが、その当時は今のように若い女の子が一人で
呑み歩けるような雰囲気では決してなく、男でも馴染みのない人は、
ちょっと入ってみたいけどビビる的な雰囲気漂う淫猥なエリアでした。

ボクにはこの二丁目に、二軒行きつけの店がありました。
一軒は、「おかまは料理が旨いのよ~~」というフレーズがお約束の
男性の格好のおかまのマスターがやっている食べ物が美味しい呑み屋と、
ママとホステス3名といった小さめのお店ながら、全員女装でゴージャスな
雰囲気漂うスナックの二軒。

呑み屋はごく普通の料金でしたが、スナックは20代後半の小僧にとって
少々お高めでした。が、安くしてくれたり、時にはお金を取らないで
「あの辺のクソジジイからその分貰っとくから気にしないで」
「お金がない時ほどいらっしゃい」
とママさんに言われたことに甘え、良く通ってました。

そのスナックが閉店時間を迎えると、突然カラオケがかかり、
お決まりのイントロが聞こえてきます。それが「そっとおやすみ」でした。
女心を切なく唄いあげるママさんの歌声と、「おやすみなさい」という
歌詞が「ハイ閉店ですよ、さあお金払ってお帰りなさい」と告げます。
この閉店の雰囲気がとても好きだったのを覚えています。
今回書くにあたって、布施明さんの「そっとおやすみ」を聞きましたが、
久々にジーンと沁みました。

初めて行った日、席についた一番若い子と仲良くなりました。
(恋心ではなく、純粋な友人としてです)
ヒロコという子でした。
男としての名前は確かテツオかケンジだった気がしますし、
高校時代の部活はバレーボールだと言ってました。

今になってはその頃のことをほとんどのことを覚えていないのに、
ヒロコと初めて話した言葉をハッキリ覚えています。

「ねえ、化粧落としたら、ボクと似てるでしょ?」

結局ヒロコの素顔を見ることはありませんでしたが、
ヒロコも「実は、私もそう思う」と言い切ったのですから、
ボクらは間違いなく似てたのだと思います。
年も同じ、背はボクの方が大きく、体はヒロコの方が華奢でしたが、
誰も確認していないけど似た者同士の不思議な友情が芽生えたのです。

ボクは工藤という名なのですが、ヒロコは「クドちゃん」と呼びました。
その頃会社勤めをしていたので名刺を渡したのでしょう、ヒロコは会社に
電話して来るようになりました。
ちなみにその当時はまだ携帯はまだ実用化されておらず、バブルの頃の
ギャグで使われる“ショルダーホン”を町で見るようになるには、もう少し
待たなくてはいけなかった頃です。連絡を取れるのは会社だけでした。
それにいくら友だちでもおかまちゃんから家に電話があろうものなら、
両親が気絶するような事態は避けられない、そんな時代でした。

仕事中電話を取ると、
「クドちゃん?ヒロコ!」と恋人のような声が聞こえてきます。
が、当時29才男子同志の会話です、お間違えなく。

その日、ヒロコは元気がありません。どうした?と聞くと、
「今日ね、ホルモン打ってきたんでフラフラしてんの」とのこと。
「なんかホルモン打つと悲しくなるの。ちょっと話していい?」
という言葉を聞くと、元気づけてあげたいのですが、小さなオフィスで、
「ヒロコ!元気だせよ!!」などと大きな声で言う訳にはいきません。
小声でその夜お店に行く約束をして切ったのですが、
横の席のヤツが聞き耳を立てていた様で、
「ヒロコって呑み屋の子っすか?『今日お店に行く』って言ってましたね?大丈夫っすよ、誰にも言いませんから。いいオンナっすか?」と
ニヤニヤしながら言うのには閉口しました。

その後しばらくして、ヒロコは歌舞伎町の有名大型店に引き抜かれました。
そこはプロはだしのダンスや歌のショーがあることで有名な店で、
当時の深夜TV番組で紹介される程の有名店。小さなスナックのホステスからしたら大出世です。もう電話がかかってくることもないと思っていたある日電話が鳴りました。

「クドちゃん、クドちゃん!助けて!!」

驚き、どうしたのか聞くと、新しいお店には、お客と食事をしてから店に
出勤する“同伴”と言われるシステムがあり、どうしても客を連れて行かなくてはいけないけど、業界の通例で、前に勤めていた店の常連を新しい店に
連れていくのは御法度だし、まだ入って間もないヒロコにはそんなご贔屓もおらず、困り果ててボクに電話してきたのでした。

もちろん横の席のヤツは、「同伴?」と驚いて答えたのを聞き漏らさず、
「へえ、同伴っすか。いいっすね、でも金かかりますよ」とニヤニヤ。

まあ友人ヒロコを助けない訳にはいきませんし、前の店のママにはクドちゃんにお願いしていいかと聞いて、もうOK貰ったと自慢気に言われては
仕方ありません。
女性のホステスさんにもしたことのない初の同伴をすることになりました。

同伴はまず食事に連れて行かなくてはいけません。
「どこ行く?」と聞けば、「歌舞伎町の手頃な料金の寿司屋があるから
どう?」とここでもまた、うぶな恋人同志のような会話の結果行くことに。
寿司屋に入り楽しく夕食を楽しんでいる最中、ふと気づくと、周辺の客が、
チラチラボクらを見てはニヤニヤしているのです。

ヒロコはお店で見るとかなりの美人です。でもそれは暗い店での話し。
寿司屋にはネタを入れるショーケースが並んでいて、その中では蛍光灯が
光っています。つまり明るい室内で下から蛍光灯の灯りが当たり、くっきり出る喉仏でおかまちゃんであることは一目瞭然。そのおかまちゃんと、
30前の小僧のカップルが仲良く呑んで喰う姿は、いくら歌舞伎町といえど
かなりの光景だがガン見する訳にもいかず、チラチラと気づかれないように見ていたのだと思います。

「クドちゃん、ごめんね。ヒロコがおかまだから変な目で見られちゃって」

店を出て、店に行く間中ヒロコはずっと謝ってました。
ボクは全然気にしてなかったのですが、ヒロコの乙女心は世間の荒波に
打ちひしがれていたことでしょう。

ちなみにこれはネタで作ったような話しですが、その寿司屋は“野郎寿司”という店名で、今でもあるそうです。

その日のヒロコのショーは素晴らしいものでした。
初めてみた踊りも一級品でしたし、ホルモンのフラフラに耐えたおかげで、
女性と見まごう程の美しいバストを露わに踊るヒロコは、まるでスターの
ようにキラキラと輝きを放っていました。

それから約1月、突然会社を辞めざるを得ないことになったボクは、ヒロコと連絡を取る方法が途絶えてしまい、二人の友情は終わりを告げました。
そして無職になったボクはお金もなく、大好きだった二丁目の呑み屋や
スナックに行くことも出来ないままやがて足が遠のき、数年後に行くと
あの呑み屋もスナックもなくなっていました。
まるでほんの一瞬の幻を見ていたような気がします。

同い年ですからヒロコももう高齢者です。
確か仙台の出身だったと思うのですが、仙台に帰ってお店でもやっている
のか、それとも東京か別の町か、もう奇蹟でも起きない限り会うことは
ないでしょう。

今でもたまに会いたくなります。
もし会えたなら言おうと決めていることがあります。

「化粧を落として、素顔を見せてくれないか?」

ヒロコが何と言うのか分かりませんが、
二人で大笑いするのは間違いないでしょう。
ヒロコとの不思議な友情はボクの青春のひとつです。

PS その後、“ひろこ”という名のガールフレンドが出来ました。
(ちゃんと女性です)が、ヒロコと呼ぶのがためらわれ、
ひーちゃんと呼ぶようにしましたがすぐ降られました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?