見出し画像

この目で見たい。

誕生日翌日、ずっと文章が好きで拝見していたあきやあさみさん自問自答ファッション講座に行ってきました!大人だ!(どこが)

この日私は1つの仮説を携えていました。
それは
「外面と内面の本質を追求していけば『同じ』になるのでは?周りの見る目がなかったり、かけはなれたものへ不健康に憧れたりしていなければ、自ずと『その人』そのものになるのでは?」
というものです。

そう思ったのには理由がありまして。
これまで出会った中で「マジのおしゃれだ」と思った人が、私には4人います。
方向性はそれぞれなんですが抱く感想は同じ、「なんでこの人はこんなにもこの人なの?」というものです。

服をまとい立っているだけでその人の本質を表現し続けている。
身につけているものが「よくもまあ見つけてきたね!」レベルでその人そのものなのです。言葉にすると違っちゃう、でもそのシューズ見てると100伝わるよ、というような。
今の気分を軽やかに遊びつつ、変わらない核がちゃんとある。
テンプレな容姿ではないんです、「丸顔でちっちゃいのに、魂のキレったら!もう!」「『おだやかいい人』に見られてもおかしくないのに、とんでもなくやんちゃな遊び心の塊!」という感じです。
彼女たちに出会ったことで上述のような仮説が生まれたのでした。

講座から帰ってまた自問自答しました。
その仮説を抱いた自分はつまりどういうつもりなのか?

私は
自分の体と魂が合致した姿を、
この目で見たい。
ただそれだけなんだと思いました。

吉本ばななさんのおっしゃる通り「体=ウニヒピリ(無意識)」だとしたら、そしてアートが「無意識をそのまま描き出して見せることで人を真に癒す」ことなのだとしたら、ファッションは真のアートでマジックだ、私はそれをこの目で見たい。
私はそういうことをファッションでしたいんだなと分かりました。

その気持ちって
父の腹の上で「これトトロ…?トランポリン…?」と思い飛びはねてみた時とか(めちゃ怒られました)、
「煤は炎が赤いとつくが青いとつかない」と聞いてカレンダーとライターで試した時とか(ぼや騒ぎ起こしました)、
そんな頃から変わらない私の性質です。

ああ私、ちょっと変なんですね、腑に落ちました。
ちょっと「これ…?!」ってなるとふらっと行っちゃう。知りたい、見たい。へたれなのにね。でも見たい。好奇心が変なとこに特化しちゃったんだと思います。

そう思ったら、人生が自由なのと同じくらい、ファッションもかけねなく自由なんだ、と1つ体で分かりました。
いろんな気持ちでいろんな服を着て、心底OK 。
変人な私は楽しく実験を積み重ねたい、この目でその結果を見たい。それももちろんOKなんだなって。

でも現状の私はレギュラーの活躍に惚れ惚れしている万年ベンチです。バッターボックスに立ってみたい、そのためにヒントが、足掛かりがほしい。
だから、「考えてること、同じ匂いがする!」という文章のあきやさんに、お会いしてみたかったのです。

お会いしたあきやさんは、文章そのままの方でした。核と文章にズレがない方。そして、うんとやさしくて、とんでもなくロックで強い一面もあって、とても繊細な方でした。
話しながら何度も、言葉を交わしているのに、言葉にしないものを交換しているような気持ちになりました。
長くて濃くて楽しい時間を過ごさせていただきました。

そして昨日夕方届いたのです。
とっても丁寧で真心こもった分厚いレポートが。

恥ずかしくて(照)、最初はちらちらと流し見しかできず、でも読んじゃいました、繰り返して。何度もいったり戻ったりしながら読んで、おすすめブランドのHPも全部見て。気づいたら深夜の4時でした。吉本ばななさん現象(そんな時間たってる気はしないのに、夢中で読んでたら深い時間になってること)が起きてました。

あきやさんはすばらしくプロでした。
私が「この目で見たい」ものが、鮮やかに表現されたレポートでした。1つひとつのコラージュを何度でも永遠に見ていられる。「自分とこんなに近いビジョンを持っているブランドがあるなんて、私は世界を全く知らなかったなあ」と知る。「靴がかっこよすぎて泣く」っていう経験ありますか?私は昨日深夜までありませんでした。うわ言のように言っていた「中と外を合致させたいんです」が、こんな形で表してもらえるなんて知りませんでした。

今回の裏テーマとして「あきやさんの働いてる感じを見せてもらう」というのも実はあったのです。
あきやさんがどう感じどう働いてきたのか、文章だけでも痛いほど分かったので、その働き方から学んで自分の参考にしたかったのでした。(それを講座中少し話したら、やさしいこと・大切なことたくさん言っていただいて…5年後必ず思い出しますね…!)レポートを見たとき改めて「プロの中のプロのやつだ…!」と惚れ直してしまいました。私はプロの仕事を見るのが大好きです。今年1番惚れ惚れしたプロの仕事でした。

あとは、私がバッターボックスに立ち、来た球を打つだけです。空振り三振も見逃し三振もたくさんするだろうけど、その生々しさ含め、やってみたい、見てみたいんだよなあ。来週からこつこつ歩き回って「うわこの靴こんなかっこいいのに、絶望的に足に合わん」とか、やってきます。(悲しくて楽しそう!)

最後に、もしかしたら今回1番「この目で見た」かったかもしれないことがあって。
講座の終盤、あきやさんがご自身について発された、繊細に光る一言があったのです。
その瞬間私の中で、あきやさんへのイメージの欠片が、ぐわーっと動き出して収まるべきところへすべて収まったんです。完璧な姿を、その核となる、強く繊細で純度の高い光を、見せてもらった気持ちでした。
その時私はなぜか、出陣の決意を固めた武将の妻のように(?)
「すべて存じております。すべて伝わりました。行ってらっしゃいませ。」
という気持ちになりました。意味がよく分からないと思いますが、私もよく分からないので、だれか教えてほしいです。
でも「その瞬間」を分かち合えた、大切な光を垣間見させてもらった、それは人生の宝です。

あきやさん、本当にありがとうございました。これからも心から応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?