見出し画像

生まれてきたのを後悔したことは一度もありません。

今日は私の誕生日です。
この世に産み落としてくれた人の片割れである、父について書こうと思います。

私は父のことを人間と思ってないらしい、最近気づいて衝撃だった。
父という種類の生き物というか、動物でも人間でもない固有種と思っているようだ。

父は言葉が上手く出ない。文章をやっと発せられたと思ったら、ひたすらそれを繰り返す。
私が物心ついて1番最初に覚えた言葉のひとつは「段取り」だと思う。未だに父の声で再生される。
『1Q84』天吾くんのお父さんを見たとき、父かと思った。そう、NHKの集金や新聞配達のようなことが「1番上手くできること」で、それを壊れたレコードのように延々と繰り返すのだ。

また、感情のエネルギーは大きいが、それを言葉で考えたり整理することができず、いきなり行動にあらわす。
おそらく自分でもなにかわからないエネルギーが膨れ上がって、いろんな外的要因でその捌け口・方向性が決まったら、一気にそこへエネルギーが流れ出す、という感じ。

そして世間や社会といった概念が皆無。
人の目を気にするとか、認められたいからこうするとか、人と上手くやるとか、気持ちを察するとか、そのようなことが遺伝情報に含まれていないようだ。

そんな父は世間一般から見たら、社会不適合者であり発達障害であり(病院いけば確実にそう判定されると思う)、家族に暴力を振るう男であり、急に仕事を変える自営業者であり、ちゃぶ台をひっくり返す星一徹だろう。そしてそれは客観的事実だ。

でも私からは、さっき言ったみたいな理由で、そうは見えていない。
ただただよく分からないなにかに突き動かされている生き物に見える。

父が荒れ狂って怒鳴っているとき、私の中はいつも120%の怒りで煮えたぎっていた。体内にやかん突っ込んだらお湯が沸く、というほどに。その感情は言葉にならなくて、それこそまるで父そっくりの状態になっていた。

弟妹になにか強いたり暴力を振るってるときは、それを通り越して胸の芯がすっと冷えた。そのとき鏡を見ていたら、完全に目が据わった自分が映っていただろう。

私が中学で実家を出て、大学の途中で父と音信を絶った。今でも私の連絡先や住所、仕事などの近況を父は知らない。

でもそれだけど思うのだ、本当にすごいって。
これだけめちゃくちゃで、生きながら業火に焼かれてる状態なのに、ちゃんと子どもへ愛が伝わっているなんて。
これは虐待親への願望の投影かと思って、よくよく自分を観察した。だがどうやら違うらしい(と自分では思っている)。
本当に父はばかだと思う、こういう生き方しかできないなんて。
でも、子どもたちが生まれたとき嬉しすぎて気が狂いそうだったこととか、私が授業で作ったなんてことないガラス細工を、何も言わず10年以上飾ってあることとか、それらにあらわれているものがある。
分かるのだ、半分同じだから。
だからこそ、本当にばかだね、と思う。
そして、そんな状態でも消えない愛が伝わるのは、奇跡だと思う、すごい。
それだけで、父の今回の人生はよくやったと言っていい、そう思う。

本当にばかだと思うが、私も父のことを愛しているらしい。上手く説明できないが、どうやらそうらしい。
私はへたれなので、父が死んで地獄にいったとき、なにがなんでも助けに駆けつけられるか分からない。それが親と子の壁なのかもしれない、逆なら絶対駆けつけてくると思うから。
でも、よく分からないがよく頑張った父が、少しでも、痛くなく・安らかであるよう、白いうっすらとした祈りを持っている。もちろん今でも弟妹へのやり方で胸の芯が冷えたり、昔のことを思い出してじたばたするときはあるが、それと全く関係なく、いつもそう祈ってる。

私は今まで、怒りと涙でぐちゃぐちゃになったことも、逃げたいと思ったことも、家から出られなくなったこともたくさんあるが、「生まれてこなきゃよかった」と思ったことが一度もない。そういうふうに思ったことが、ふと振り返ってみたら一度もなかった。
その感覚は、理屈で説明できないが父からもらったものだ。
母からもらった「生まれてきてよかった」という気持ちと1つになり、今日まで私を生き延びさせた。何があっても生きていける、力ある核になっている。
それって、よくよく考えたら、本当にすごいことだと思うのだ。子どもにそれさえあげられたら、あとはなんでもいいんじゃないか。子どもが勝手になんとかするから。だから感謝だけがある。

4月頭、営業自粛直前のルミネでこの2匹を見つけた。

見た瞬間「父さんだ!!」と思い連れて帰ってきてしまった。本当にそっくり、特に左の子。
5月末、父の誕生日に右の少し優しい顔の子を贈った。いつの間にか1人暮らししてる父さんを、癒して助けてあげてね、と。
母から「父さんめっちゃ喜んでたよ、ありがとうって」ときいて、少し涙が出た。

左の子は今もうちにいる。
ますます父さんの偏屈ぶりににてきた気がする。
内緒だが少しいとおしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?