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会いたかったのかもしれない

とっても近ごろ感謝していることがあって、それはTさんとの出会いだ。

私の業務のひとつに、バイトメンバーをまとめて仕事を振る、というものがあるのだが、長らく欠員だった週5バイトとしてTさんは入ってきた。4月の半ば、自粛真っ只中のころだ。

初対面から「聡明。そして気が強そう~笑」と思っていたのだけど、それは1.5倍くらいにはそうだった。入ってきて早々、2人でおつかいに行ったりと話す機会があった。
この業界を一度自分の目で見て、本当にやりたい仕事なのか見極めようと思ったこと。でもそう簡単に働き口見つからないだろうから、大学時代と同じくソムリエとしてしばらく働こうと思ってたこと。思ったより早くうちへのバイトが決まったが、コロナでバーが開いておらず夜働けないのが想定外だったこと。淡々と話してくれた。
いわゆる「意識高い系」の言葉では全くなくて、それはとっても自然だった。彼女のたたずまいと言葉、魂の色が普通に一致していて「この子はずっと、自分で考えて自分で生きるということをしてきたんだな」とよく分かった。

一緒に働いていく中で、それをより深く知っていくことになった。
頭の中に芯があって、そこを中心に判断を下しながら周りのことを学んでいく。本質をはずさずスピーディに「今ここで求められていること」を行っていく。そこに変なたゆみや甘ったれがなくって、シンプルかつ的確だった。

それは単なる「彼女がそういう人である」の発露だったのだが、不思議なことが起こった。

「私の」仕事の質が変わってきたのだ。

元々私は調整や事務の多い今の仕事が、かなり苦手だった。頭の中は常にカオス、嵐の中を毎月なんとか難破せずに乗り越える、みたいな感じ。変な葛藤や自意識が内にたまって、明らかに仕事をする状態としてあまり良くなかった。

平良ベティさんに「本来決めていける人なはずよ」と言われた2月から、そっかと思って小さなトライ&エラーを繰り返していた。カオスのループにはまりそう、と思ったら席を立つ。トイレに行く。そして「いろんなことが分からない」ふりをやめてみる。コロナというイレギュラーの中で投げ出したくなる時もあったが、こつこつ試してみていた。

そうやって少しずつ弛んできていたものが、Tさんと働くようになって再組成されたのだと思う。
一つ一つバラバラの事象が、繋がった全体像として急に頭に入ってきた。「頼んできた人の考えや気持ち」でも「そのときの私の状況」でもなく、「仕事そのものの核の要請」が掴めるようになった。こう言うとたいそうな感じで居心地悪いが、全然そんなことはなく、むしろやっとスタートラインに立てた感じ。要は、自分の中に軸ができて、そこを中心に学んだり考えたり決められるようになった、というだけのことです。
同じ空間にいる、きれいに高速で回転をするコマを見て、私の無意識が「そっか、ああいう感じね」と納得したのかもしれない。
他の人は気づかないささやかな変化だが、私の中では大きなことだった。単純に仕事が少し楽しくなって、嬉しい。

これって何回目の「その人がただその人でいるってすげー!!」なんだろうな。本当にTさんはただTさんでいるだけなのに、それがこんなに素敵なことなんて。これからも何回も、そんな実感していきたい。

そして、きっとこれからも会うべき人・会いたかったのかもしれない人に会える、私の人生の流れを生きていれば、と思えた。それは作り上げたりつなぎとめたりできないものだから、ただただきれいな流れを、ひたすら見ていたい。小学校の通学路で、橋の上から川の行く様をずっと見ていたように。

私がこんなに助けられてること、意志強い顔が笑うとくしゃっとなってかわいいなと思ってること、きっとTさんは知らないだろう。私から言うことも多分ない。
でも明日会ったら「おすすめの西加奈子さんの『さくら』読んだよ、めっちゃ良かった」と話して、また一緒に仕事をしよう。

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