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生き残った男の子

今日は我が家の次男坊、5番目の誕生日!

16年前の今日、学校から帰り病院に行った。
赤ちゃんは、お産が大変だったんだろう、赤黒くなっていて、デリカシーない姉は「猿みたい」と思った(口には出しませんでした!)。
母に会ったら、透き通ってこの世の人じゃないみたいだった。後で聞いたら、初めて陣痛誘発剤を使わなくてはならず、一時意識を失ったそうだ。三途の川が見えて、向こうに亡くなった親戚が立っていて。「わたしには、ちいさいこどもたちが、おるんよおおおおおお!!!」と反対側に爆走したら、戻ってこれたらしい。すげーなとしかコメントできない。

2人が退院してから「赤ちゃんてこんなだった!」と夢中で毎日過ごした。こんなにもみじサイズだったっけ、手。こんなにミルクみたいだったっけ、におい。5番目のことを書いて入賞した作文は「感情があふれすぎて形容詞が意味不明」と担任に言われた。

5番目が生まれてから1年たたず、私は実家をでて寮に入った。それから会えるのは夏・冬・春休みだけ。言葉を話せるようになり、初めて私をきょうだいと思ってないことが分かったときは、ほんと泣きたかった(笑)。会う度大きくなっていて。えっもう小学生?保育所もまだじゃなかったっけ?あれ今何歳じゃっけ?いつもまじで年齢忘れて困った。

台湾から私が一時帰国した3週間は、5番目と2人で遊ぶことが多かった。ポケモンセンター行ったり、ゲーセン行ったり、台風の中ポケモン映画(これは3番目と3人で)見たり。
これだけ5番目と一緒にちゃんといたのが初めてで、いろんなことがじわじわ直で伝わった。家族では5番目と私だけの種類の繊細さを持ってるんだなとか。全部1人でのみこんで耐えるんだなとか。早く大人にならざるをえなかったのに、まだこんなに小5なんだなとか。ちょびっとだけ大人でちょびっとだけお金ある姉ちゃんがついとる、思う存分遊ぼう!そう遊び倒すことしかできなかったけど、姉にとっても弟にとっても本当に幸せな3週間だったと思う。台湾に戻ってから、2番目に「5番目、本当に楽しかったみたいでちょっと元気ないんよ、また帰ってきてね」と言われたときは少し泣いた。

5番目は、家の状態が傾いてから生まれたから、他のきょうだいにはかりかねる大変さがある、とずっと薄々感じていた。沈みかけの泥船で生まれたようなものだから。私は泥船が傾き始めたとき、自分と家族のため、早々に抜けてしまった。

「そんな状態なのになぜ5人も」と様々なニュアンスで言われることがある。それに私は傷つきつつ、死んでも5番目には聞かせたくなかった。

私にとって5番目は、絶対必要だった。会いたかった。どんなに家庭がぐちゃぐちゃでも、お金がなくても、それで5番目含む他のきょうだいに苦労かけると分かっていても、生まれてきてほしかった。出会えたこの未来がよかった。だから、生まれてきてくれたこと、今日まで生きのびてくれたこと、感謝しかないんだ。

生まれたときから家がここで、幼なじみがいて、地元を愛していて。だから5番目の地元の写真はすごくやさしいひかりが入っている。転々としている私には見えないような。高校は大阪になったけど、入学が延期になってるから、地元にいる期間が増え幸せそうだ。

誕生日おめでとう。
生き残ってくれてありがとう。
はよ二十歳になれ、5人で飲もうや(笑)
その前にこの16歳、めいっぱい楽しんでね。

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