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ウレシカ

5月最初の日曜日、西荻を越して以来はじめてウレシカに立ち寄った。
(まさか東京にいるうちに西荻窪から離れる日が来るとは思わなかったのだが、引っ越しちゃったからこそnoteに書ける)

雨がざあざあ降りで、吉祥寺からぼちぼち歩いた。
この道が大好きだよなあ(特に夜)と思いながら伏見通りを歩き駅前に出て北上する。
ちょっとだけ緊張したけど、いつもどおり、邪魔しないよう、気づかれないようそっと店内に入る。

ラッピングペーパーたちをしげしげ眺めた後に展示を見に行くと、ダイさんに気づかれた。
「おお~staさんひさしぶり~。げんき~?」
3か月半しかたってないからだけど、全然変わってない(笑)
でもそういえばこんなに会ってなかったことひさしぶりな気がする。

西荻に越してきてから、何となく毎週末の散歩コースになったウレシカ。
散歩は好きだったのでいろいろ歩いたけど、結局FALL・ウレシカと余裕があればプラスアルファ(小高商店・善福寺公園・スーパーetc)というとこに落ち着いた。

ウレシカは1Fの左側が器や絵本を売っていて、2Fと1Fの奥の方がギャラリー、いつもだいたい個展をやっている。
私は西荻に来るまで「アート?せっかく東京にいるんだからいろいろ見ておいた方がいいってさんざん言われるけどそこまで気力も体力もおいつかないんだよなあ」って、まるで咎められてるように思っていた。
でも毎週こつこつ、ウレシカで絵本作家さんの原画展などを見ていると、なんとなーく「それぞれのアーティストにそれぞれの見える世界がある」ということ、それとは別に「自分にも『好き』がある」ということが分かってくる。
ほんとうにそれはじわじわとで、よくわからないなりに見ては自分の心の動きを観察していた。
そしていいなと思ったらポストカード(たまに本や雑貨や器)を、そこまでぴんと来なかったら1Fで他の作家さんのポストカードやラッピングペーパーを買っていった。
ちょっとだけだけど、世界を見せてもらったお礼のつもりだった。

黙々と通って1年過ぎたくらいのころ、ダイさんにしゃべりかけられるようになった。
小高商店からネギをリュックに差したままウレシカに来ることが続いて
「何作るんですか?」「ぬたです」
「おっ、自炊ガール、またネギか」「そばにやまもりかけます」
みたいなやりとりを最初に何度かしたの、すごく覚えている。
それまでできるだけひっそり、何も残さないよう気をつけていたので、認識されていたことにもびっくりしたし、変な言い方だけど「邪魔に思われてはいなかったんだな」と思った。

ダイさんの距離の縮め方は絶妙で、それから3年くらいかけて、(私は猫っぽくはないけれど)猫が少しずつ近くにいても飛びのかなくなる感じで、ささやかなおしゃべりをするようになった。
私の名前を教えたのも2年以上過ぎてからだった気がする。
ただ木を加工する動画をなぜか一緒に見たり、誕生日にビールもらったり、台湾のお土産を渡したり。
しゃべってた内容はささやかすぎてほとんど忘れたけど、お店を出たあといつも胸がほっとした感じはちゃんと覚えている。
いろんなアートを見るついでに、ダイさんに会いにウレシカへ寄る、という感じになった。

あまり体力(?)がないし、いろんなことを難しく感じてしまうので、土日ぶっ続けで家から一歩も出ずに寝込むなんてこともしばしばあった。
でも「よし、この人の絵はやっぱ見てみたいから、ベッドから出よう、、よし」というときは、遅めの時間ウレシカになんとかたどり着ける日もあった。
いろんなアートを見て、ちょこっとダイさんとしゃべって、帰り道心に豆電球がついたような感じになる。
そうやってしのいでこれた気がする。

弟のことも、移植のことも、話さないまま通っていたが、そのときの展示(特に後藤美月さん『おなみだぽいぽい』のとき)は本当に力をもらったし、平和な会話が助けになった。ある程度落ち着いたあとさらっと話をしたら、思わぬ共通点もあったりした。あかるい心強い気持ちになった。
自分で立ちたいから人に言わないものがずしっとあるとき、単に和む会話をするとか、ちょっと笑い合うことが、どれだけあと1日しのぐ力になるか、少し分かった気がする。その想像力が前より増えた。

今日もすこしだけ会話をして、松村真依子さんの原画を見に2Fへ上る。
ウレシカに通ううちとっても好きになった方の1人で、私にとってはセンチメンタルじゃないのに、なぜか泣きたくなる絵だ。こんなに心をなでていく原画をたくさん、見られて本当によかった。あと、2Fにあがったときカマタさんにおひさしぶりですといわれて、恥ずかしかったがうれしかった。

松村さんの『絵のない絵本』『ねえ おつきさま』と可愛すぎるラッピングペーパーたちを抱いて1Fにおりてきたとき「そうか、もう散歩で来れるわけじゃないんだ」となぜか実感する。MARUUさんの『わたしのものよ』も買うことにする。
存在自体が大好きすぎる絵本で、なんでこんなに世界の本当の色(?)を描けるんだろうと、ウレシカで見てはびっくりしていた。こんなに装丁が完成された絵本見たことないし、絵の色彩・線の動きは、うまくいえないけど私もそう見えています、という気持ちになる。本を連れて帰ることは、その世界を連れて帰ることなんだと改めて気づく、少しウレシカが遠いさみしさも消える。

お会計しながらダイさんに元気そうでよかった!といわれる。引っ越す直前よれよれのへろへろだったから、ほんとに心配かけていたんだなあと今さらながら思う。ダイさん曰く、すぐ誘拐できそうだったらしい。引っ越して睡眠時間増えて、元気です!といいながら、ほんとに元気な気持ちになる。ちょろちょろしゃべりつつ少し混んできたお店を出る。

安心した。こうやってずっとちゃんとウレシカが開いているということが、もしかしたら意識の深いところで私を少し大丈夫にしているかもしれない。お店を続けるということが、いつもどおりでダイさんとカマタさんがやってくれていることが、どれだけ大変なことがあるか、私の想像力ではおよばないだろう。でもお二人は同じトーンで、ずっとこつこつやってくださっている。私もそこに変に甘えず、もたれず、こつこつ通おう。
感傷はなしに、ただただ安心してありがたく思った。

松村さん展示のハガキを新居のドアに貼ったら、前の「いつも」と同じだと思ってうれしかった。


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